ゲームエンジンが日本と海外のゲーム開発の明暗を分けたのか?

ゲームエンジン、特にUnreal Engine、Unityのような汎用エンジンの普及、台頭が日本と海外のゲーム開発の明暗を分けた。


note.mu


↑この記事や、色々と話題になったゲンロン8でもこんなようなことが言及されていたが、これは本当だろうか?


「汎用」エンジンということに限定すればこれはあまり正しくはない。


そもそも、日本でもそれなりに有名なAAAタイトル、『Grand Theft Auto』、『ASSASSIN'S CREED』、『Call of Duty』、『Battlefield』、日本でも結構な勢いでヒット中の『Marvel's SPIDER-MAN』、これらのタイトルでUnreal Engine、Unityのような汎用エンジンを使用しているチームってどれだけあるのか?


答えは0だ。


海外のAAAタイトルで商用化されている汎用エンジンを使用してゲームを作成しているチームは思った以上に少ないのである。挙げたタイトルはほんの一例なので興味があれば調べてみるといいだろう。結構な数の海外の開発会社はゲームエンジンを自前で用意してゲームを作っているのである。


というわけで日本と海外、中でも大規模タイトルの開発において開発力に差がついた要因は「汎用」エンジンではないってことは言えるだろう。


だが、「汎用」でなくてもエンジン自体を開発できるそもそもの開発力の地力の違いってことはまだ言えるかもしれない、ではなぜ、既に使用実績もあり、高度な技術が集約されている筈の商用型汎用エンジンを使用せずに、わざわざ手間暇かけてエンジンを内製し、海外の多くAAAタイトルは作成されるのだろうか?


私なりの考えを述べる前に、一つの記事を紹介しよう。この問いかけに対する解答の8割くらいは下記の記事に書いてある。


jp.ign.com


全文引用したいくらいの内容なのだが、下記の一文は非常に重要だ。

同氏の思想の中心にあるのはチームメンバーにエンジンの「アイディア」を伝えるよりも前に最終的な「目的」を伝えるということだ。新しいエンジンを作るにあたり、チーム全体にその理由を理解させてはじめてスムーズな開発フローを構築できるからだ。


これには全く同意するほかない。ゲームエンジンによって達成するための「目的」が、自分たちで作ろうとしているゲームの「目的」と一致した時、良い結果は生まれる。


ASSASSIN'S CREED』のAnvil Engine、『Far Cry』のDunia Engine、どちらもUBIの内製ゲームエンジンだが、どちらのエンジンもそのゲームで達成しようとする「目的」が明確だったからこそ、良いエンジンになったということが上記の記事でも言及されている。


素人目にはわざわざエンジンを別々に作るよりも、すでにある汎用エンジンなり会社で統一されたエンジンを使用した方が効率的なようにも見えるかもしれないが、例え同じ会社であったとしても、ゲーム中に達成すべき「目標」に違いがあるのであればエンジンもまた別に作成した方が良い結果が生まれるということは決して珍しくないことである。


その後のあまり上手くことが運ばなかった事例も興味深い。

EidosのChrystal Dynamicsが開発した「トゥームレイダー(2013年)」では既存のエンジンに手を加えたFoundation Engineが使われたが、「トゥームレイダー」に必要な部分だけ、変更が施された。これも効率の良いパターンではあるが、ゲームとエンジンの開発チームが別れていた。チームが一緒でないと時間がかかるし、巧妙に連携していくことは必須だ。幸い小さなチームだったので事がうまく運び、良い結果に繋がった。

デウスエクス」や「ヒットマン」など、Eidosの様々なゲームに使われたG2 Engineは当初の企画よりもずっと時間がかかってしまった。これも完全新エンジンだったが、問題のひとつはやはり、ゲームとは別のチームが開発を進めていたことだ。最終的には優秀なエンジンに仕上がり、Eidos内の様々なチームが使うことになったわけだが、開発の進行は決してスムーズではなかった。マネージメントと戦略の衝突もあり、開発チームを何度も再編成しなければならなかった。欧米の開発者にとって3年の開発スパンが長すぎて、最後まで残ったメンバーも少なかった。豪華なデザインやモジュールがあっても連携がうまくできていなかったので、途中からAnvil Engineと同様のアプローチに変えてなんとか完成させた。


上記の二つの事例はどちらも、ゲーム開発と、ゲームエンジン開発の部署を「分けた」ことで問題が発生している。開発部署を分けただけで問題が発生するなら、エンジンを外部の会社から買ってくるなんて問題外のことのようにも思えるが、なぜ部署を分けたくらいのことでここまで深刻な問題が発生するのだろうか?


それはゲームエンジンというものが既にあるものを買ってきておしまいというものではなく、ゲーム開発とともに常にカスタマイズを加えながら「運用」していくものだからだ。


ゲーム開発は数年という長期間に渡って行われ、その最中には大小様々な問題が発生する。その発生する問題の中には、ゲームエンジン自体に手を加える必要性のある問題が多々あったりする。


www.4gamer.net


jp.automaton.am


↑これら記事で触れられている井戸ルーラ問題などは、ゲームエンジン自体のカスタマイズが必要な典型的な事例だろう。この問題に関してはEpic Games側のサポートによって解決したようだが、外部の開発会社とのやりとりというものは、何かと手間がかかることが多いし、他の開発会社からも異なる要望が寄せられる以上、解決が後回しにされることだって珍しいことではない。


そういったデメリットがある以上、内製エンジンという選択肢は決して悪いものではなく、むしろゲーム開発者とゲームエンジン開発者が「目標」を共有した上で、なるべく近い距離で仕事を進めることが出来るという点においてはメリットが大きい制作方法だったりもするのである。


繰り返しになるが、ゲームエンジンとは買った、もしくは作った時点で完結するものではなくゲーム開発とともに「運用」していくものである。この視点抜きでゲームエンジンを語る言説はゲーム開発の現場と乖離した価値のない言説だと言ってしまっていいと思う。


ゲームエンジンの「運用」については下記の記事なんかも参考になる。


www.4gamer.net


エンジンのバージョンが上がるたびにデータの検証が必要になったり、周辺のツールのバージョンアップが足並み揃ってなかったりと、なかなか具体的に汎用エンジンを採用した上での問題点を語っており、色々参考になる。汎用エンジンの導入は思った以上に大変なのだ。


こうやってつらつら書いてるとUnreal Engineとか汎用エンジンをディスってるようだけど、恩恵の面も相当ありますよ。小規模開発チームとか個人クリエーター、要はインディーシーンの隆盛への影響は相当大きいだろうし、Unityなんて日本でも使ってない会社存在しないんじゃないかってレベルで普及してるし、開発者コミュニティの共通基盤になっているという点なんかはかなり良いことなのだけど、まあそのあたりはまた別の機会にでも書きます。


恐ろしいのは、ゲームエンジンというものをまるで万能のツールかなんかだと勘違いしてしまうことだ。冒頭で紹介した記事で述べられたように、ゲームエンジンを作る上で重要なのは「目標」をチームで共有することだ。その「目標」が見えなくなったり、チーム内でバラバラの「目標」を目指すようになってしまうと、そもそもゲームエンジンはもとよりゲーム開発自体がいとも簡単に暗礁に乗り上げる。ゲームエンジンはあくまでも「目標」を達成するための「手段」なのである。


日本のゲーム業界は汎用、内製を問わずゲームエンジンによって海外のゲーム開発に差をつけられたのだろうか。私はそうは思わない。重要なのはゲームエンジンよりそれ以前の「目標」の問題ではないだろうか。


非常に単純化して言ってしまえば、90年代にRPG対戦格闘ゲームなどなど様々なジャンルの鉱脈を一通り掘り尽くした日本のゲーム業界は2000年代以降にどんなゲームを作ればいいのかという「目標」が見えづらくなった。そして2000年代以降本格的にコンシューマFPS/TPS、オープンワールドゲームの隆盛を迎える海外のゲーム開発会社には何をすべきかの「目標」が明確に見えていたし、それを歓迎する巨大な市場が存在した、ゲームエンジンはその過程で生まれた副産物に過ぎない。


エンジンという「手段」以前に「目標」を見失っていたから日本のゲームシーンは一部の例外を除いて、特に据え置きのコンシューマーシーンにおいて迷走したり、低迷したりしていたっていうのが自分なりの仮説なのだけど、その低迷も永遠に続くわけではなかったようだ。


jp.ign.com


ここ数年、特に去年(2017年)は国内のタイトルが海外でも評価、セールスともに良い成績を収める事例が多く見られた。そしてやっぱり↑の記事で触れられているゲームはどれもUnreal EngineやUnityではなく内製エンジンで作られている。結局のところ問題は「汎用」だろうが「内製」だろうがゲームエンジンにあったのではなく、下手に海外ウケ狙って中途半端な洋ゲー崩れみたいなゲームを作るよりも、自分の得意分野で勝負するのが良かったってことに落ち着きそうなんだけど、この辺はまた個別に見ていく必要があるのでまたの機会に回そう。


最後にまとめると、海外製のAAAタイトル、海外でもヒットしている国産タイトルの多くはUnreal EngineやUnityのような汎用エンジンを使用せず、内製のエンジンで作られている。その理由としては、エンジンを的確に開発、そして「運用」するためには出来るだけチームが近い位置にいたうえで「目標」を共有しながら進めた方が良いことが多いからだ。


2000年代半ば以降、海外のゲームシーンは隆盛を迎え、日本の、特に据え置き型ゲームシーンは低迷期を迎えるが、その明暗を分けた要因としてゲームエンジンはあまりに「わかりやすい」存在だった。なんでも内製したがる自前主義の日本のゲーム会社と、高品質なツールやエンジンを外部から巧みに導入することでより効率よくゲームを作る海外のゲーム会社という対比は、凋落する日本の家電会社やiPhoneの台頭に手も足も出なかった日本の携帯メーカーとも重なる、非常に飲み込みやすい凋落のストーリーを歩んでいるように見えた。


しかし、現実はそうではない。国内でも国外でもエンジンの内製は決して珍しくないし、全然海外に通用しないと思われていた日本のゲームはここにきて高評価、高セールスを記録することが珍しくなくなっている。特にペルソナシリーズや龍が如くシリーズのようなとても海外に向けて作られているとは言い難い、日本を舞台にした日本的なゲームが海外でも売れているという事実は非常に興味深い。


重要なのは、ゲームエンジンによって差がついた日本と海外のゲーム開発というわかりやすいストーリーに飲み込まれて思考停止しないことだ。普通にあったことを愚直に拾い上げてみるだけで、そんなストーリーに当てはまらない事例だらけなのだから。そうしなければ、これまでのゲーム業界のこともこれからのゲーム業界のことも何も見えてはこないだろう。