時のオカリナにおける上から目線

 ゼルダの伝説時のオカリナは俺が今更指摘するまでもなく、不朽の名作である。そして、そんな名作には、名作であるだけの要因がある。そんな名作を名作たらしめる要因の一つについて触れてみよう。


 任天堂マリオ64を作る過程で、カメラワークの重要性に気付いた。そして、任天堂は、カメラワークというものを、ゲーム中の「演出」の一つとして、使いこなすようになった。時のオカリナには、そんな3Dゲームならではのカメラワークによる「演出」が存在する。


 時のオカリナは、主人公が、子供になったり大人になったり、「時間」を行き来しながら冒険を進めるゲームである。プレイヤーは、まず子供の状態のリンクを操作し、ストーリーの進行とともに、大人のリンクへ成長し、二つの時代を行き来できるようになる。


 子供時代のリンクは、妖精達が住むコキリの森から冒険をスタートするのだが、大人になったリンクが最初に訪れるのもまたコキリの森である。なぜそのような構成になっているのだろうか?実は、ちゃんとした理由があるのだ。


 ゼルダの伝説は、基本的にプレイヤーが操作するリンクをカメラが後ろから追いかけるような形、いわゆる三人称視点のゲームなのだが、子供時代のリンクと、大人時代のリンクでは、若干だが、追従するカメラの位置が子供より、大人の方が、高い位置から見下ろすように変更されているのだ。


 些細な変化なので、最初は大人リンクを操作してても、そのことには気付かない。しかし、大人リンクとして、コキリの森を訪れると、その違いに愕然とすることになる。


 コキリの森の妖精達とか建物とかってこんな小さかったっけ?


 子供時代は、同じ目線で接してたはずのコキリの森の妖精達に、大人になってから訪れると、明らかに自分の目線が高くなってしまっていることに気付く、自分が、初めて駆け回った3Dのフィールドが意外なほど、小さく感じることに気付く。大人になって初めて訪れるのが、子供の頃に初めて触れた場所だからこそ、そのちょっとした違いに一々気付いてしまう。


これが、時のオカリナにおける、ゲームならではのカメラワークによる「演出」である。


 時のオカリナというゲームが不朽の名作として現在でも称えられているのは、このような、細やかな「演出」がプレイヤーにボディブローのように効いているからなのである。名作には名作と呼ばれるなりの理由というものが確かにあるのだ。