映画の情報量

ワイルドスピード」の一作目が良かったのは、カーチェイスシーンとカーレースシーンを完全に別のものとして撮っていたからだと思う。


そしてカーレースシーンは直線の差し合いだけに絞ることで、加速装置のニトロを使うタイミングのみが勝敗を分けるキーになり、スピード感を失わず、心理的な駆け引きの描写に成功していた。


続編はカーチェイスとカーレースの線引きが曖昧になり、カーレースではコーナーリングの良し悪しが重要になっているんだけど、正直コーナーリングの上手い下手って映画で見てるだけだと良く分からない。巧みにシフトチェンジしてるらしいけど、カットがめまぐるしく変わり過ぎてて、一体何してるんだコイツらって感じで置いてけぼりになったような感じを受ける。


漫画だったら頭文字Dみたいにナレーションを挟んだりして勝敗を分けた要因を解説出来るんだけど、実写映画でそれをやったらあまりに嘘臭いし、スピード感を削いでしまう。


映画というメディアはそのまんまの映像が撮れてしまうし、そこにキャラクターの心理などが乗っかってくるので、シチュエーションを組む段階でかなり情報量をコントロールするようにしないと簡単にわけがわからなくなってしまう。


そういう意味では七人の侍の、村一つ分、7人の侍、3〜40人の野伏せりっていうのは映画として、絶妙な情報量だと思うのだ。