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任天堂失敗列伝〜第一回〜「64DD版MOTHER3の巻」

ゲーム 任天堂

 あらかじめ断っておくが、この企画は、
任天堂の過去の無様な歴史を暴いてやんよ
という目的で書かれているわけではない。むしろ逆だ。
任天堂の失敗って面白くてためになるんだよ
ってことを、世界中へ向けて発信するために考案された企画である。


 任天堂の強みは何回でもコンティニュー出来るってこと - 枯れた知識の水平思考
↑このエントリでも言及したことだけど、任天堂ってのは、かなり失敗を沢山している企業だ。その失敗の一つ一つを、自分なりに振り返り、分析し、現在に与えた影響を検討することで、なぜ、今、任天堂という企業が、未曾有の大成長を遂げているのかがわかるのではないだろうかと思うのである。


三十歳から四十五歳を無自覚に過ごすな 〜任天堂社長 岩田聡氏〜 - 中小企業診断士 和田伸午のおもしろビジネス放談
↑この辺のエントリ読んで、任天堂とか岩田社長に興味をもった人にもお薦めですよ。


 とかなんとか偉そうに言ってるけど、結局はそろそろ64時代とかも懐かしむ頃合だろうってことで、オイラの青春時代の思い出をたっぷり交えつつのキモ文が展開される予定ですので、その辺は多目に見てくだせえ。


 というわけで、記念すべき第一回は「64DDMOTHER3」です。


 MOTHERというゲームのことを知っている人は多いと思います。MOTHER2では木村拓也がCMに出てたりしましたね。64DD版MOTHER3というのは、ニンテンドウ64の付属機器、64ディスクドライブ(以下64DD)専用タイトルとして開発されていた、MOTHERの3作目にあたるタイトルです。このタイトル、けっこう前に、GBA版が発売されましたが、それ以前に据え置き機で6年にわたり開発され続け、その果てに一端は開発が中止されてしまいます。その時に発表されたのが以下の鼎談です。雑誌などに発表する前の第一報をほぼ日というWEB上で行ったことで、当時は結構話題になりましたし、個人的にも衝撃の報告でした。とりあえず、知らない人は読んでみて下さい。事前に言っておきますと、この鼎談、無茶苦茶長いです。
ではどうぞー。


『MOTHER 3』の開発が中止になったことについての糸井重里・岩田聡・宮本茂の座談会


…久しぶりに読んだんだけど、なんかお腹いたくなってきた…
ここまで、(笑)が無く、ここまで長く重く話しつづける鼎談オイラ読んだことないよ…
一回目なのにあまりに重い素材を選んでしまったか…。


 ぶっちゃけこのエントリはほぼ日のかなり深くて見つけ辛い部分にあるこの鼎談をより広い人に読んでもらうのが最大の目的なんで、ここでエントリ終了しても良いんですが、まあそれじゃああんまりだとも思うんで、自分なりに思うところを書きたいと思う。


 読んでもらえば分かると思うが、この鼎談で最も凹んでいるのは、糸井さんでも宮本さんでもなく、岩田さんだ。糸井さんは、シナリオは既に書き終えており、現場に作業を任せている状態だったし、宮本さんは、MOTHER3には直接的には関わっていないと思われる。しかし、岩田さんは、肩書きの上ではプロデューサーだが、かなり現場に密接に関わり、ゲームを作る上でなくてはならない存在であったのである。この鼎談は、現任天堂社長である、岩田さんの挫折についての告白なのである。岩田さんの発言を引用しよう。

岩田:
でも、宮本さんの場合は
私よりも見切りが的確だと思うので、
自分が乗りだしていってから
完成できなかったことは、
たぶん、ないんじゃないですか?
私も、それがないのが自慢だったんですけれど、
NINTENDO64の初期に、
『カービイのエアライド』というのを
1本やろうとして、
自分が関与していたのに、
まとめられなかったことがある。
仕切りなおして、結果的にはそれぞれのチームが
がんばってくれたので、
スマッシュブラザーズ』や
『星のカービイ64』ができたんですが、
そのときにはじめて挫折を味わった。
でも今回は、その時以上に
かかわっていた時間が長いですから
挫折感、強いですね。

 この時期、岩田さんはHAL研究所の社長を辞め、任天堂の取締役経営企画室長になっている。


 かつて岩田さんが社長を勤めた、HAL研究所という会社は、経営危機に陥ったときに、任天堂の前社長である、山内溥氏が当時HAL研究所の開発部長だった岩田さんを社長にするなら、再建支援をするという条件を提示し、そこから星のカービィスマッシュブラザーズというヒット作を出すことで、再建してきた会社である。そこでの岩田さんの役割は、経営的な部分の仕事もあったのだろうが、開発にもかなり、直接的に関わっていることが様々なインタビュー等から伺える。


 この記事を読んでもらうとわかるのだが、大乱闘スマッシュブラザーズの最初の基礎部分のプログラムは岩田さんが直接組んだのだそうだ。


 さらにこの記事を読んで頂きたい
糸井重里の脱線WEB革命第18回コンピュータってものとの交際歴。
糸井重里の脱線WEB革命第22回コンピュータは怖くなかった。


 この記事に書かれているのは、MOTHER2っていうプロジェクトが如何に難航してどれほどデスマーチ化してたのかってことと、そこから如何に岩田さんが鮮やかな手腕を発揮し、発売まで漕ぎ着けたのかってことなんだけれども、当時の岩田さんが相当ゲームの開発現場に近い場所にいながら社長業をしていたのかがよくわかる記事だと思う。HAL研究所時代の岩田さんは、プログラマーとしての自分と、経営者としての自分との折り合いみたいなものが非常に上手くいっていたのではないかとオイラには思える。MOTHER2というゲームはそんな岩田さんのキャリアが一つのピークを迎えていた時期に生まれた幸運なゲームだったのだろう。


 しかし、MOTHER3というプロジェクトにおいて、HAL研究所の社長から任天堂に移った岩田さんは、これまでのように、現場に密接に関わることが非常に困難になってしまう。

岩田:
違うでしょうね。
たとえば昨年3月から毎月アメリカに行く、
ということが、もし、なかったら、
まる3ヶ月くらいはチームのために
自分の時間を使えていたかもしれない。
それが実際にはコマ切れになって、
離れて見えなくなっていった。
もちろん電子メールや電話で
連絡はしていましたし
自分なりに努力はしたつもりでいましたけれど
いくらそんな努力をしたところで
しょせん目の前で一緒に同じ時間を共有して
仕事をしているときとは訳が違いますから
当然、問題の発見は遅れますし
対処は後手後手に回るし、
ロスをしてしまって、結果として
みんなに回り道をさせてしまった面が
たくさんあったと思います。

 現場から叩き上げのような形で出世した人は、よく自分が現場から離れる時期に悩んだり葛藤があるというが、(はてなの近藤さんも最近そんなこと言ってましたね。)岩田さんにとって、現場から距離を置かざるを得なくなった時期がこの2000年頃のことだったのだろう。HAL研究所の社長から任天堂に移り、任天堂の社長に就任し、DSとWiiという大ヒットを生み出した、傍目には、順風満帆として言いようのないキャリアを築いている岩田さんですら、キャリアの移行期にはこのようなひずみを生んでいるのである。



 もっとはやく後継者的な人材を育成しておけば良かったのでは?と思う人もいるかもしれないが、HAL研究所という会社は負債がある状態から再建に向かってとにかく堅実に歩まなければならなかったわけで、その中で、岩田社長が、かなり広い範囲、開発のことや、経営のことを一手に担うのは、避けられない事態だったのだろうし、安易に、若手に冒険させるのを許せる環境ではなかったのだろう。結果として、MOTHER2とは対照的に、MOTHER3というタイトルは、岩田さんがキャリアアップしていく中でどうしても実らせることが出来ず、こぼれ落ちてしまったタイトルになってしまったのではないだろうか。(MOTHER3が相当無茶連発した、潰れるべくして潰れたタイトルだったってのもあるんだろうけれども。)



 この三人による鼎談は、他にも3D病とかマリオ64作った人が言うかそれってことを述べたり非常に興味深いのですが、一つ一つ指摘してるとキリがないんで、今回はこの辺で止めておきたいと思います。でもこの鼎談を読めば、任天堂も普通の人たちが集り普通に悩んで学んでゲームを作っている会社であるってことがよくわかると思う。


 しかし、このようなプロジェクトが駄目になったって報告をいきなりほぼ日で行ってしまうってあたり、MOTHERっていうタイトルが如何に特殊なタイトルで、且つ、あまり任天堂の経営にそれほどダメージを与えない程度のタイトルかってことの証明にもなっているように思う。違う会社だけど、もしドラクエが開発中止とかになって、そのことの報告をこんな形で行ったりした日には、株主から突き上げられるなんてもんじゃないだろうしね。だからこそこうやって座談会が開けるのだ。これもまた任天堂の抜群の経営的な安定ぶりを示す一例とも言えなくは無い。


 それでも、このような没プロジェクトの反省会を公開してしまうっていうのは、非常に貴重だと思うし、率直な発言をしてくれた糸井、宮本、岩田の三氏には感謝の念がつきない。当時はただMOTHER3が発売中止になったのが辛いって印象だったけど、時を経ることで、この文章の価値はグングン増してるように思う。だから、是非、岩田さんや、任天堂という会社に最近になって興味を持った人にこそ、この鼎談を読んで頂きたいと強く思う。


 そして、このような挫折を経て、任天堂の社長に就任した岩田さんは、これを教訓にし、大ヒットを連発したのであーるとか続けば話はキレイにまとまるんだけれども、実は違うのだ。この後、任天堂は最大の迷走期、ニンテンドーゲームキューブ時代に突入するのである。MOTHER3の開発中止という衝撃の直接の影響からかどうかなのは、任天堂の内部の人間ではない自分にはわかりかねるが、ゲームキューブ時代(特に初期)の任天堂は、任天堂のウリの一つでもあるはずの、「発売延期してでもとにかく内容を作りこむ」ということを放棄してしまう。 その結果生まれたタイトルが問題作、「マリオサンシャイン」と「ゼルダの伝説風のタクト」という2タイトルなのだが、これは今後続く任天堂失敗列伝の別の回に触れようと思う。MOTHER3というタイトルの放つ失敗の闇はあまりに深い。




 最後にこの座談会当時の御三方の写真を見てみようと思います。

http://www.1101.com/nintendo/nin13/nin13_img/ph13_1_11.jpg
↑岩田さん やっぱ若いっスね、ってか最近風格が出てきたような…

http://www.1101.com/nintendo/nin13/nin13_img/ph13_1_2.jpg
↑糸井さん この頃は痩せてますね、最近の糸井さんのほうが丸いけど健康そうな感じ?

http://www.1101.com/nintendo/nin13/nin13_img/ph13_1_12.jpg
↑宮本さん 
 変わってNEEEEEE!!

第一回おしまい