ゲームの競技性と遊戯性について


プリント倶楽部はゲームなのかゲームではないかと言われれば僕はゲームだと答える。


しかし、人によってはあんなのはゲームと呼べないと言う人も多いだろう。


それはおそらくプリント倶楽部が競技性のあるゲームでは無いからだ。あんなん写真撮ってシールになるだけだろと。


でも僕はゲームというものはは入力に対する出力、アクションに対するリアクションが返ってくればその時点で成立すると思っている。だからプリクラだって立派なゲームだ。プリクラで綺麗に写る方法を探究する女子高生は立派なやりこみゲーマーである。


僕はゲームの根源を競技性ではなく遊戯性に求めているのだろう。だから僕にとってはゲーム性という言葉と遊戯性という言葉はかなり近い位置にある。だけど、ゲーム性という言葉を競技性という意味で使っている人も多いので、混乱を招きやすいからあまり不用意には使わないことにしている。


アクションに対するリアクションが返ってくるだけでゲームというのは範囲広すぎだろと言う人もいるかもしれない。そんなん言い始めたら何かものに触って触り心地を確かめるだけでゲームかよと。

でも僕はそれで良いと思っている。さすがにテレビゲームとして成立させるなら何かしらの電子機器を介する必要はあるのだけれど。

ルールや制約という競技性の観点からゲームを捉えるのは非常に正しい行為だと思う。しかし、ルールや制約というものはそれ自体が魅力を放つようなものでは無いのだ。むしろ根源的な魅力や面白さを高度化、先鋭化させるためにルールや制約があるのではないかと自分は思う。


そのためゲームの「面白さ」を考える場合に僕はゲームの競技性より遊戯性に重点を置くことにしている。