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ゆとり乙と言ってはいけない

ちょっかい


ゆとり乙という言葉によって失われる、摩擦や違和感、そしてそれによって生まれていた筈の思考の蓄積は、我々の想像以上に大きい。


逆に当のゆとり世代はゆとりという十字架を無理矢理背負わされることで、思考の足掛かりみたいなものをいきなり手に入れてしまっている。


橋本治が昔はダサいという言葉がないんだけど、ダサいという状態は普通に存在してたので、それを適切な言葉で説明するのにすごく苦労したみたいなことを言っていた。


そして、ダサいという言葉が無かったからこそダサいということを別の言葉で言い表すために自分の思考が養われて結果的に良かったとも言っている。


上の世代ってのは大体下の世代に冷淡なものだけど、それにしてもゆとり世代ってのはあまりにも便利過ぎる言葉だと思う。


たぶん当のゆとり世代の人達はそのゆとりって言葉を逆手にとるような形で上の世代に対抗してくるんじゃないかな。ってか既にそうなってるか?


そうなると言い方悪いけど耐性ついたタフなウィルスみたいな下の世代にゆとり世代なんて便利過ぎる言葉に頼り過ぎてた上の世代はあっという間に駆逐されそうな気がする。



今更な話だしそもそもそんな世代間抗争起きんのか?って話だけど、自戒をこめて書いておく。


多分ゆとりと同じような言葉として、派遣や派遣村があるんじゃないだろうか。