ゲームのある景色〜ブルボン小林のゲームホニャララについて〜

 ブルボン小林のゲーム語りはおそらく、ゲームにまつわる「情景」を描写しているんだと思う。


 彼が取材をせずに洞察のみで文章を書くのも、注釈を細かく入れつつも、注釈の文がどこかいい加減だったりするのも。ディティールを深く描写しないことによって生まれる、我々の胸の内にぼんやりと存在する「ゲームにまつわる情景」を描こうとしているからなのではないか。


 そもそも我々はそれほど細かくその時々の「情景」を記憶してはいない。どうでもいいような細かい部分は鮮明に記憶されているのに、大枠の部分を極めていい加減に捉えていたりする。


 ブルボン小林という人は、そのへんの妙に精密でありつつどこかぼんやりとしたゲームにまつわる情景を掬いとるのが非常に上手い。そんな彼がDSの「おいでよどうぶつの森」の空について語った文章は出色の内容だと思う。


以下引用。

 「おいでよ どうぶつの森」の上画面の使い方はとりわけ出色で、遊ぶなり簡単のため息が漏れてしまった。なにがすごいかというと、ほとんど使ってないということ(使ってないことがすごいって、なんなんだ?)。


 ただ、空があるのだ。


 だから遊んでいる間、我々はほとんど下画面(地面)しかみない。上には、雲が流れていたり、雪がふってきたり、月が緩慢に位置を変えていたりする。ときどき、それが目に入る。


 それは本当のことだ。我々はやはり、たまにしか空をみない。でも、いつも空は存在していて、見上げればいつも見える。


 それはたとえばゴルフのゲームで、タッチペンをこすってクラブをふるような「本当っぽさ」とは違う。正真正銘の「本当のこと」を二画面で示してみせた。遊んでいて上をほとんどみないという、そのことの臨場感に脱帽なのだった。

引用ここまで。


 ゲームにまつわる情景描写の名手、ブルボン小林が「おいでよ どうぶつの森」が表現し得た「空」という情景の意味をこれ以上なく簡潔かつ明瞭に語ったこの文章に出会えただけで僕はこの本を買ってよかったと思うし、これから何度もこの本を読み返すのだと思う。

 
 ゲームに熱中した後におすすめ。