任天堂がここまで躍進できた理由〜00年代のゲームシーンを巡る二つの中心点 中編〜

 
 はい、今度こそ終わるどーってことで、本当に本当の後編中編です(書いた後の追記:最初は後編のつもりだったんです、、ごめんね)。以前の内容を読んでいない人は、以下の記事を読んでから読むと良いでしょう。でも読まなくてもそれなりに理解は出来ると思います。


レベルデザインなんていらない 前編 - 枯れた知識の水平思考
JRPGが希求するもの〜レベルデザインなんていらない 中編〜 - 枯れた知識の水平思考
00年代のゲームシーンを巡る二つの中心点 - 枯れた知識の水平思考


 前回、2000年あたりから2002年までどうにもこうにも暗中模索状態だった任天堂が放った、状況を大きく変えた一発として、メイドインワリオを挙げました。人によってはこのタイトルをそこまで大きく評価するかと、訝しがる人もいるかもしれません、ですが、僕はこのタイトルを、海外ゲーム業界の躍進の象徴としてのタイトル、グランセフトオート3(以下、GTA3)に匹敵する、00年代を代表するタイトルだったと思っています。そうなんです、メイドインワリオこそが、GTA3に代表される急成長した海外市場、海外ゲームシーンを一つの中心として見た場合に、それとは完全に対極の位置に存在する、もう一つの中心を形成したゲームなんです。では、メイドインワリオのどこがそこまで画期的だったのでしょうか?以下にその理由を述べたい…ところですが、いい加減後編のさらに後編、でこの調子だとまたさらに後編と延々続きそうなんで(やっぱり、、、もう結論から先に言ってしまいます。


 この10年間は、ゲーム業界にとって、世界レベルでゲームソフトの重厚長大化、大規模化、マクロ化が進んだと同時に、任天堂が一社でかなりの部分を占めるような形で、軽薄短小化、小規模化、ミクロ化を進めた10年間だったのではないかと僕は考えます。海外の多くのゲーム会社は、中心点の一つ、ゲームのマクロ化に邁進しました。そして生まれた代表的なタイトルがGTA3です。そして、元々は、マクロ的なゲーム開発でも世界に先駆けていた筈の任天堂が、180度方向転換するような形で、ゲームの軽薄短小化、ミクロ化へと舵を切り、途中迷走しつつも、軽薄短小なゲームソフトのあり方という問題に対する完璧な回答を放ちます。それが、メイドインワリオです。このタイトルが提示した枠組み、視点、インターフェースへの着目等によって、任天堂は一気にゲームのミクロ化への道を突き進むことになります。この十年間も世界レベルでゲーム業界が成長を続けられたのは、マクロ方面だけに偏るでもなく、ミクロ方面に一斉になだれ込むでもなく、両方の極、いわば二つの中心点を持つ楕円形の広がりをもった市場を形成できたからではないでしょうか。


 よく、海外のゲーム制作技術に日本のゲーム制作技術は完全に遅れをとったということを述べる人がいますが、それは、片方の中心点、マクロ方面のゲームのみに着目した場合は、確かにそう言えると思います。一つ前の記事でも述べたように、海外のゲーム開発者たちのリアルへの執着とは尋常なものでは無いし、ハリウッド仕込みのCGアーティストがゲーム業界に流れてきたりするし、重厚長大でリアルな3D空間を冒険するようなゲームを望むゲームユーザーの数も日本とは段違いです。追い抜かれたとか以前に、海外と日本では、出発点の時点で全く及んでないんです。一連の記事の最初で述べたように、FPSというあまりにも完成されたゲームシステムもったゲームジャンルがゲームのマクロ化を支えた中心ジャンルとして機能していたということも大きいです。


 逆に根本のゲームシステムを、ゲーム黎明期からのコマンド式バトルに根ざしながら、記号化された漫画やアニメのキャラクターをそのまんまリアルなCGとして描画しようとするという、色んな部分で奇形的な進化を続けてきた日本のRPGJRPGは、マクロ化という中心点からもミクロ化という中心点からも中途半端な立ち位置にしか辿り付けず、衰退していったのもまた時代の必然だったのではないかと僕は考えます。ちなみにポケモンはあまりにも早く、JRPGが進むべき道、どっぷり世界に浸るように没頭してプレイが出来、要は重厚長大なゲームとしても遊べるのに、根本的な部分は徹底してミニマルに、止めようと思えばいつでも止める事ができるっていう軽薄短小な遊びにも対応可能という地点に辿りついてしまったゲームですね。実は90年代の日本のゲーム業界は、2000年代の世界のゲーム業界の先取りみたいな部分があるんですが、それはまた別の機会にお話ししましょう。


 話を戻すと、でも、僕はゲームの重厚長大化、マクロ化っていうのは、あくまも二つの中心点の内に一つ分に過ぎないと思うんです。二つの中心の内の一つではあるんだから、相当大きい存在であるのも確かなんですが、決してゲームの全てでは無いと思います。


 更に、マクロ化っていうのは、右肩上がりにどんどん成長していくみたいで、誰でもスゴくイメージがし易い方向性なんです。だから色んなゲーム制作会社がその方向にこぞって進むわけです。開発規模が大きくなるなら、皆がイメージし易い方向に進むほうが、統率だってしやすいですからね。つまり、あっという間に競争が激化してしまうんですよ。現在、既に海外のゲーム会社の競争は相当熾烈なものになってしまってますよね。大手ゲーム会社の決算ってかなりの勢いで赤字連発してますし。


 今から思えばN64で発売したマリオ64ゼルダの伝説時のオカリナなどで、マクロ化したゲームの最先端を突っ走っていた任天堂が、無理矢理方向転換したのは、正しかったんだなあと思います。やっぱり山内前社長の異常な直感の鋭さは社長を辞める直前まで健在だったんだなあと。


 ということで、以上が、ここ10年のゲームシーンの僕なりの総括です。任天堂がここ数年で一気に躍進出来た理由、それは、ライバル会社達がゲームのマクロ化、重厚長大化に邁進するなかで、ほぼ一社だけで、ゲームのミクロ化、軽薄短小化に成功し、ミクロなゲームを望むユーザーをほぼ一社で独占できてしまったからです。では、肝心の任天堂が中心になって行ったゲームのミクロ化とは一体どのようなことだったのかを、これから詳細に解説していきたいと思います。任天堂によるゲームのミクロ化、軽薄短小化への成功は、やはりこのタイトル「メイドインワリオ」の存在を抜きにしては語れないのです。

ゲームの細分化、再解釈、再構築

 メイドインワリオのどこがそんなに画期的だったのか、それは簡潔に言っちゃうと、従来のゲームを極限まで細分化し、さらにそれを再解釈、再構築することで、全てがどこかで見た事があるパーツで構成されているにも関わらず、全く新しいゲーム体験を生んでしまった、ということです。


 これね、メイドインワリオは一回でもやった人なら自分の言ってる内容にすぐ納得できると思うんですが、メイドインワリオをやったこと無い人からしたらさっぱりわからんだろうね。メイドインワリオっていうのは、元々は、64DDポリゴンスタジオってソフトに入っていたサウンドボンバーっていうミニゲームを一人立ちさせたタイトルなんですが、ほとんどワンアクションでクリアできるミニゲーム、障害物を一回だけジャンプしてよけるとか、一発弾を撃ってそれを的に命中させるとか、マリオだったら一回ジャンプしてクリボーを踏むまでとか、色んなゲームの断片的なアクションを切り取り、それらを一つのミニゲームに見立てて、5秒でクリアできるまで時間を区切り、さらにランダムにそれらを配列し、一回ゲームをクリアしたら、また次のゲーム、それをクリアしたらまた次、そして最初は5秒に1回という区切りだったのがだんだん時間の区切りが短くなり、ゲームスピードが加速し始め…、という具合に内容がバラバラのゲーム、バラバラの動作を、暴力的なまでに直列に繋いでしまう事で、縦スクロールとか横スクロールとかに匹敵する、新しいゲームの流れを生み出したゲームです。


 うーむこんな説明でわかるかな、、メイドインワリオって説明が難しいな…。お前の説明じゃわからんって人は、動画でどうぞ。



 メイドインワリオがどのようなゲームかわかって頂けたました?メイドインワリオというタイトルによってなされた、ゲームの徹底した細分化からの再解釈、再構築のどこがそんなにすごかったのか? それは、この5秒に1回ミニゲームっていうシステムにのせてしまうと、どんだけ無関係な世界観、ストーリー、ゲームシステムを持ったゲームでも一つのゲームとして繋がってしまうということなんです。短く言っちゃうとメイドインワリオのやったこととは、ゲームにおける新しい流れ(配列)の発明と、それに伴う物語性の解体であり、さらにそれらはすべてボタンによって制御されているという事実に改めて任天堂は気付いたんだと思うんです。それだけじゃ短くまとめ過ぎててよくわからんと思うので、まずは、ゲームにおける新しい流れの発明について解説していきたいと思います。

串団子型のレベルデザインとその即効性

 メイドインワリオのゲーム構造っていうのは、例えて言うなら串団子に似ていると思います。一つ一つの団子を一口で食えるまで小さくし、それだけではただバラバラのミニゲーム集になってしまうところを、串で貫いてしまうことで、キチンとしたボリュームのある食べ物として成立できているという具合です。


 逆に、昨今の大作化したゲームっていうのは、巨大な一つの団子とかおまんじゅうみたいなもんで、一つ食べるのに50時間かかるとか、そもそも食べ方を理解するのに二時間かかるとか、団子が団子である理由を延々ムービーで説明したりしてたんですが…、まあこんな感じで例えだすとキリがないんでこの辺にしときます。


 ちょっと前にも言いましたが、メイドインワリオっていうのは、パーツ自体は見た事があるのに、全体をプレイしてみると非常に新しい感じのするゲームで、それは、団子の例えに沿うなら、団子一つ一つはどっかで見た事が有るものなんですが、それを串で貫いてしまうという部分、つまりゲームの配列の方法に新しい発明があったから、ゲーム全体の印象が新しく感じられてしまうということなんです。メイドインワリオというタイトルは新しい「団子」ではなく、新しい「串」を発明したタイトルだったんです。


 多くのゲームは、ゲーム中のキャラクターを操作し、ゲーム中の世界、要はマップを歩いて移動することで、ゲームを進行させます。つまりマップのデザインを考えるということと、ゲーム全体のレベルデザインを考えるということは、かなりのゲームにおいては、=で結ばれることなんです。JRPGにしたって、マップデザインばかりがレベルデザインというわけではないとは、以前の記事で述べましたが、ゲーム中にキャラクターが移動する地形が全く存在しないというわけではないので、JRPGにはJRPGなりのマップデザイン=レベルデザインというのもまた存在するんです。まあFPSとかとはゲーム内容が全く違うんで、求められるデザイン内容もまた全然違うんですけどね。日本のRPGのマップデザインの妙についてはまた別の機会に。


 メイドインワリオというゲームには、多くのマクロ化したゲームに見られる、イベントとイベントを繋ぐためのプレイヤーの移動という要素が全く存在しません。一つのイベント、すなわち一つのミニゲームの中では、適宜キャラクターを移動させたりしますが、ミニゲームミニゲームの間にはプレイヤーが介入する余地は無いんです。


 これによって、任天堂はマップデザインに依らない新しいレベルデザインのあり方というものに、気付いてしまったんじゃないかと僕は思うんです。小分けにしたミニゲームとそれを貫く「串」に新しい発明があれば、広大な3次元空間とか細かく積み上げられた世界設定とかいらないじゃんと。っていうかむしろそっちのほうが、てっとり早くゲームの本質的な面白い部分が味わえるじゃんと。それこそが、僕が勝手に命名した「串団子型レベルデザイン」の持つ、非常に強力な特性なんです。この間口の広さ、異常な即効性の高さこそ、任天堂重厚長大から軽薄短小化への道を進める上で最も欲しがっていたものなんですね。メイドインワリオは、新しいレベルデザインのあり方(串団子型レベルデザイン)を提示することで、軽薄短小なゲームソフトのあり方というものに、満点の回答を出してしまったんです。


 この串団子型レベルデザインによって生まれた代表的なタイトルが「脳トレ」と、「WiiFit」ではないかと僕は思います。脳トレにしてもWiiFitにしても、さまざまなミニゲームが収録されていますが、それらを「脳のトレーニング」や「フィットネス」という新しい「串」で貫いてしまうことで、バラバラのミニゲーム集に一つのゲームコンセプトが生まれています。これらに限らず一時期の任天堂ソフトはミニゲーム集ばっかりと言われていたりしましたが、これは半分が正解で半分は不正解です。確かにメイドインワリオ以降、ミニゲームを集合させた任天堂製のゲームは増えましたが、それらタイトルはいずれも何らかの新しい「串」で貫かれることによって、新しいゲーム体験を生んでいたのです。


 「串団子型レベルデザイン」はこれらのミニゲーム集的なタイトルに留まらず、マリオシリーズの本編、「スーパーマリオギャラクシー」においても採用されています。っていうか「マリオギャラクシー」こそ「串団子型レベルデザイン」そのものだよね。球状に区分けされた地形を次から次へと攻略することで一つのステージの流れを作るっていう。「マリオギャラクシー」でも、一つ一つの小分けにすることで、そもそもどこへ進めば良いのかよくわからんっていう3Dマリオの持つ導入部の敷居の高さが随分緩和されてましたね。


 しかし、脳トレWiiFitの爆発的なヒットに比べると、マリオギャラクシーの国内での売上はちょっと寂しいものがありました。同じ「串団子型レベルデザイン」を採用しているのにも関わらずです。実は、メイドインワリオには、「串団子型レベルデザイン」の他に、もう一つ、ユーザーをゲームに非常にスムーズに導入する仕掛けがあったんです。その仕掛けは、脳トレWiiFitには、採用されているんですが、マリオギャラクシーには採用されていない仕掛けなんですね。その仕掛けとはなんでしょうか。それは、メイドインワリオのもう一つの画期的なポイント、ゲームにおける物語の解体ということで説明できると思います。


 はい、というところでやっぱりブログの限度を超えて長くなってきたからまたまたまたまた続くよー。今度という今度は後編だよー。結論部分は冒頭に書いちゃったから後はメイドインワリオによる物語の解体とインタフェースへの着目の二点が書ければ終了だよー。ようやく終わりが見えてきたか…。もうちょっとお付き合いください。