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宮本茂の得た自信

 (ディレクターをやっていなかった期間は)30年の中ではそれほど長くないのですが、僕の中ではものすごく長い時間でした。そこで、NINTENDO64というハード用のゲームを作る時、「1回ディレクターに戻ろう」と思って、頑張ってディレクターをやりました。大変でした。昼間は会社のほかの作品のプロデュースの仕事をして、夜にはディレクターとして仕様書を書いて、朝にプログラマーの席の上に置いて帰るというのを続けました。

 これは、この記事↓での宮本茂の発言なんだけど。
“よくできたゲーム”と“面白いゲーム”の違いとは?――マリオの父、宮本茂氏の設計哲学(前編) (3/5) - Business Media 誠


 なんだかサラッと流すように言っちゃってるけど、この時、宮本茂が久しぶりにディレクターを務めたタイトルは、あのスーパーマリオ64なのである。ゲームの歴史に確実に名を刻むであろう偉大なタイトルを、宮本茂はプロデューサーとの二足の草鞋を履きながら作ってたんですね。恐ろしい人ですね。


 この発言だけでも充分すごいんだけど、その後に続く言葉がまたすごい。

 ただ、できたんですね。これができたことで、すごく自分の中で自信になりました。41歳の時ですが「まだまだ現役でやれるやないか」と感じた思い出の仕事です。そこで作った『スーパーマリオ64』(1996年)が世界中のゲームデザイナーにインパクトを与えて、3Dアクションの基本になったと言われます。


 確かにスーパーマリオ64はスゴいゲームで、高く評価されたんだから自信だってつくだろうけど、それにしても、この人はこんなハチャメチャな制作体制で仕事をやり遂げた後に消耗したりしないのだろうか?あれくらいすごいタイトルを作ってしまったらその後3年くらい沈黙しても、僕は全然驚かない。


 でも、宮本茂はその後もスターフォックス64だのF-ZEROXだの、ゼルダの伝説時のオカリナだの歴史に残る傑作を連発しちゃうんだな。


 思えば、64時代って国内シェアががっくり落ち込んで任天堂が大ピンチだった時期なんだけど、雑誌のインタビューに出てくる宮本茂は常に明るかった。それって多分、自分が現場で腕をふるってるのが単純に楽しかったからなんだろうなと、今では思う。


 悲観的になろうと思えばいくらでもなれた時期に、宮本茂は自分に対する自信を得ていた。あの頃とすっかり状況が逆転した現在、自分の能力に対する確かな自信を得ているクリエーターはどれくらいいるのだろうか?