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感情移入と身体移入の間で〜ゴッドオブウォー3レビュー〜

ゲーム

 スーパーマリオブラザーズでマリオは囚われたピーチ姫を助ける、それがスーパーマリオブラザーズの物語の骨子になっているわけだが、このゲームをプレイしながら、マリオに感情を移入し、ピーチ姫を助けるたびに感動にむせび泣く人ってどれくらいいるだろうか。勝手に決めつけてしまうけど、そんな人はほぼいないと思う。僕自身マリオシリーズは楽しくプレイしてるけど、物語的な興味でプレイしているわけではないし、マリオに感情移入しながらプレイしているわけではない。クッパにも特別恨みはない。


 ではなぜ、僕がスーパーマリオブラザーズを何度も何度もプレイし、その度にキッチリ楽しんでいるのかと言えば、それは、自身の感情ではなく、身体を移入しているからだと思う。自分の身体の一部が、確実にモニターの中のマリオというキャラクターとつながり、共鳴するような感じ。それがあるから僕は何度もマリオをプレイしてしまうのだ。そのような感覚をキャラクターへの身体移入とここでは呼ぼう。


 ゴッドオブウォー3(以下GoW3)をプレイしていて楽しいなと思える理由も、このゲームの、クレイトスというキャラクターに素直に身体移入しているからではないかと僕は思う。


 実際、GoW3のキャラクターの操作性、身体移入性の高さは絶品と呼ぶにふさわしい。ブレイズ・オブ・エグザイルから繰り出される滑らかな攻撃モーションは色気すら漂っているが、なかでも特筆したいのは、最初の一発目の攻撃の速さである。


 アクションゲームにおいてボタンを押すということは、ある種のモーションを再生するということである。つまり攻撃ボタンを押すということは、攻撃モーションが再生されるということだ。ボタンを押すということは、攻撃を開始する上での始点なのである。なにを当たり前のことを言っているのかと思われるかもしれないが、優れたアクションゲームは、このモーションの始点としてのボタン操作と、モーション再生の途中で発生する攻撃判定を限りなく=で結ぶことで、攻撃が当たった瞬間の感触として、ボタン操作を利用する。ボタンを叩いた時のアタック感と、攻撃が当たった時のリアクションを同時に発生させることで、アクションの爽快感を増すように演出するのである。


 このような演出はリアルさにこだわっているばかりでは出来ない。特に、現実のリアルさを再現することにこだわりがちな海外のゲームメーカーはこの手の演出があまり得意ではなかった。アサシンクリードの戦闘がつまらないのはこの辺に理由がある。ボタンを押すという行為があくまでモーション再生ボタンとしての機能しか果たしていないのである。まああのゲームは戦闘が爽快過ぎるのもアレだから意図的にそうしたという可能性もかなりあるのだけれど。


 その点、現実を無視して嘘をつくことに躊躇がなく、気持ちよければそれでOKな日本の開発会社では、このような爽快感の演出法は異様なまでに発展した。その結果生まれたのが、流麗かつ美麗なコンボを繰り出す対戦格闘ゲームの一群であり、デビルメイクライニンジャガイデンのような国産の3Dアクションゲーム達である。


 海外のゲームに日本のゲームは負けたとかなんとか言ってる人のこと基本的に馬鹿臭いと思ってる自分だが、GoW3に嫉妬し、焦りを覚える一部の日本のゲーム開発者達の反応は極めて正しいと思う。FPSやTPSは日本ではあまり発展せず、あくまで海外を本場として発展したジャンルだ。だから抜かされる以前に競争にすらなっていないのだが、GoW3に関しては、完全にこちら側に土俵に乗った上で、それをさらなる高みへと押し上げようとすらしているのである。


 話が逸れたので、元に戻そう。GoW3の圧倒的な身体移入性の高さに魅了されつつ思うのは、イベントシーンでの主人公のあまりの残虐っぷりについてである。

 
 あんまりこのゲームの物語自体に興味が無いってのもあるのだけれど、それにしてもこのゲームの主人公、クレイトスさんの闘争本能というか、怒りの根源みたいなものはどっから沸いてくるのか最後までイマイチわからなかった。つまりは全然感情移入は出来なかった。ゲームを進めると、その根源についての説明みたいなものもあるっちゃあるんだけど、個人的にはあまりピンとこなかった。理由はあるんだろうけど、そこまで非道にふるまわなくてもというか。


 僕にとってGoW3というゲームは、身体移入はどっぷりできたが、感情移入は全く出来なかったわけで、その意味では、スーパーマリオブラザーズに近いゲームであると言える。


 でも、作り手側はこのゲームをそのように遊ばれてしまうのは不本意なのかもしれない。身体移入は当然として、物語のどこかのタイミングで、感情移入もしてもらいたかったのではないだろうか。詳しくはネタバレになるので言わないが、ゲーム中にはそのような試みがしてあるのがわかる。でも、その試みは僕にとってはあまり上手くいっているようには思えなかった。


 身体移入から始まった物語がいつの間にかドップリと感情移入してしまうゲームというのもいくつかある。その代表的なものとして挙げられるのは、ドラクエ3だろうか。あのゲームの最後の最後に訪れる自分自身が、伝説そのものになる瞬間、あそこには、自分自身の感情と物語が完全にシンクロし、ゲームでしか辿りつけないであろう高みに達する感覚が確かにあると思う。そこまでいかなくても、ゲーム中のキャラクターが抱くであろう感情と、自分の感情(テンションと言った方が近いかもしれない)がシンクロしたような錯覚に陥るゲームは少なからずある。


 では、感情移入という部分においてGoW3は失敗したゲームなのだろうか。自分はそのようにも考えない。むしろGoW3は、ゲームの別の可能性を示しているのではないかと考える。それは、まったく身体移入と感情移入がどこまで乖離しながらゲームは物語を物語れるかということである。


 キャラクターのストーリー上のふるまいにはあまり共感できないけど、操っている分には非常に爽快でくやしい…、というゲームの物語の可能性。ゲームでしか出来ないであろう不快で爽快なストーリーテーリングのあり方。GoWシリーズにはそのような道を突き進んで欲しいと思う。というわけでオススメです!