新しいゲーム、面白いゲーム、求められるゲーム

 新しいゲームと面白いゲームと求められるゲームはそれぞれ違う。


 かつてはゲームそのものが新しかったし珍しかったから、全てのゲームが新しかったし、面白かったし、多くの人に求められていた。


 当然そんな時代は長くは続かない。面白いゲームとそうではないゲームがあることに多くの人が気付き始めた、クソゲーの誕生である。そして多くのクソゲーは人々に求められることも無くなったので、面白くないゲームと同時に、求められないゲームもまた誕生した。クソゲーであるにも関わらず多くの人に求められ語り継がれた「たけしの挑戦状」という世にも稀なゲームが生まれたのもこの頃である。


 やがてゲームそのものが新しい時代は終わりを迎える、しかしゲームというジャンルの中ではまだまだ新しいゲームが生まれ続ける。新しくて面白い、そんなゲームが多くの人に求められる。ゲームを作る会社とそれをプレイするユーザーにとっては最も幸福な時期である。


 そんな時代もそうそう長くは続かない。新しいネタが枯渇するとともに、新しくて面白いゲームよりも新しいけどそれほど面白くないゲームや、確かに新しいけど、面白さの構造が複雑になり、一部の人には熱狂的に求められても、多くの人々には求められなくなるタイトルが増え始める。新しさと、面白さと、人々の需要が乖離し始めた時代の到来だ。ゲームのモードとマーケットが乖離した時代とでも言いましょうか。モードが消滅した時代と言ったほうがいいかな。


 モードとマーケットの乖離、もしくはモードの消滅、この事実に自覚的な企業ほど成功してるなと思う昨今です。あとソーシャルゲーム界隈が一部のゲーマーから蛇蝎のごとく忌み嫌われるのは、ゲームのモードを潔いまでに無視してマーケットしか眼中に無い(ように見える)からですね。