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ルールの守護者について〜ソーシャルネットワーク感想〜

 ネタバレ含むだろうから、まだ観てない人は注意!

 デビット・フィンチャーは、「ルールに呪縛される人々」を描く作家だ。


 セブンにおける七つの大罪になぞらえた連続殺人に翻弄される刑事達と、果てには、自分の考案したルールに沿って自分自身を処刑するように仕向ける犯人。ファイトクラブにおける、ファイトクラブという非合法組織とそこに課せられたあまりに有名なルール。パニックルームにおける、登場キャラクター全てを翻弄する仕掛けだらけの家。デビット・フィンチャーとはルールを考案した筈の人間ですら、やがてはルールに呪縛され、もがく様を一貫して描き続けてきた作家だと僕は思う。


 セブンではそこで設定されていたルールにギリギリまで抵抗しながらも、敗北する主人公を描き、ファイトクラブではそこからどうにか脱出に成功したかのように少なくとも当時は見える主人公を描いた。ルールに呪縛されながらも、ルールに抵抗する側の人間を描いてきたものまたデビット・フィンチャーなのである。


 そんなデビット・フィンチャー最新作のソーシャルネットワークは、主人公がルールを徹底して守る側の人間であるということが最大の特徴だ。


 考えてみれば当然の話で、現実にある世界最大のソーシャルネットワークサービス、「フェイスブック」の制作者を主人公に据えている以上、ルールに破綻が起きるわけがない。起きていたとしたらそれは現実を無視したファンタジーになってしまう。


 そんなわけで、この映画はデビット・フィンチャー作品の中でも最も堅牢なルールを築いた男が最後までルールを守り続け、邪魔者を排除しまくる、ソフトのバグチェックの様を丹念に描いたような映画となっている。


 そんなルールを守り通すことに成功した主人公が、最後に女性弁護士から言われる台詞、それこそがこの映画を象徴していると思う。そしてこの台詞は物語冒頭の主人公のふるまいにそのまま重なる。


 ソーシャルネットワークとはそのような嫌な奴の思いつきから始まったルールが嫌な奴としての自分を維持し続けてしまうという、ずっと変わらない、変わろうとしない、今更変わるわけにもいかない「嫌な奴」を産み出すルールを描いた映画だったのだと自分は思う。