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宮崎駿と細田守の自然観、田舎観の違いについて

 宮崎駿という人は自然を一種キャラクター化して描く。トトロのクライマックスで田んぼを吹き抜ける風は猫バスが駆け抜けるから起きる。ここでは風という自然現象を猫バスというキャラ化して描いているわけだ。それ以外にももののけ姫の森にはシシ神やコダマのような象徴的なキャラクターがいるし、ナウシカにおける腐海の象徴として王蟲がいる。そして、なんと言ってもポニョの津波表現なんかは、キャラクター化した自然描写の最たるものだろう。


 それに対して、細田守という人は、自然をあくまでありのままの自然として描く。主人公達に恵みを与えることもあれば、命が危うくなるほどの牙をむくこともある。それはただ自然が自然として存在する結果そうなっただけのことで、大自然の大いなる怒りとかメッセージみたいなもの描こうとはしていない。


 そして、細田守という人は田舎にある、人為的なものに美点を見いだす人なんだと思う。


 田舎というのは、自然が溢れた空間であるのと同時に、それを人の手によって常に再構成し続けることが求められる空間でもある。そうしないと、家や田畑は荒れ放題なわけで、そこで生活することは出来ない。実は田舎ほど人工的な空間も無いのである。


 おおかみこどもには、綺麗に修繕されたシャープな佇まいをした日本家屋、ほとんどイーストウッドな爺さんの指導によって整地された畑のウネなど、田舎ならではの「人為的な」美しさが幾つも描かれる。


 田舎における人為的なものへの眼差しの違いこそが、宮崎駿と、細田守の田舎観の違いであり、おおかみこどもが単なるありふれた田舎賛美映画になっていない要因なのだと思う。


 宮崎駿の田舎観についてはもうちょっとトトロを研究してより詳細に書きたいところだけど、とりあえず今日はここまで。