三次元のマリオの歩み マリオ3Dランドレビュー

 発売されて一年以上経ってしまいましたね。でも、良いものは良いんです。というわけで、マリオ3Dランドのレビューを書きたいと思います。


結論から言っちゃうと大傑作ですねこれは。任天堂にしか作れない作品だと思います。マリオ64から15年かけてよくこの境地に辿り着いたものだなと思います。自分は、かつてこのブログで、マリオ64を失敗作として捉えた文章を書きました。


  僕自身、失敗作とは言って見たもののマリオ64は相当な傑作だと思っています。ですが、2Dのマリオは、それ以上に素晴らしい志向性を持ったゲームなのです。その素晴らしさとは何か。このブログでは何度か書いていることですが、ここで改めてゲームにおける探査と到達という言葉を使って解説したいと思います。

ゲームにおける探査と到達

 大雑把に分けてしまうとゲームというのは探査と到達の繰り返しで出来てます。テトリスと例にしてみると、テトリスというゲームは、次々発生するブロックを適性な落とす位置とブロックの形を探査し、キー操作で目標の位置に到達させます。この時、プレイヤーは、探査と到達の両方の技術を両立させなければなりません。どれだけ性格な探査をしても、キー操作が未熟なら高得点は望めませんし、精密なキー操作が出来たとしても、落下位置の探査が見当外れでは同様に低い得点で終わるでしょう。


 ではマリオ、特に2Dのマリオはどのようなゲームなのかと言えば、プレイヤーに要求する探査の水準が非常に低いゲームにであると言えると思います。


 2Dのマリオは右へ右へと進んでいるだけで、基本的にはクリアできますし、一番弱いキノコを食べていない初期状態のマリオでもクリアが可能です。自分が進むべき目標はどこにあるのか、クリアに必須な自分を強くしてくれるアイテムはどこにあるのかを、プレイヤーは探査する必要がないゲームなのです。


 かと言って2Dマリオが探査性の低いゲームになのかと言えばそういうわけでもありません。至るところに設置されているブロックやコイン、隠しブロックや土管から通じる隠し通路、一足飛びにステージを飛び越せるワープゾーンの存在など、むしろ豊かな探査性を持ったゲームだと言えるでしょう。しかし、それらの探査要素は、クリアする上で必須の要素ではないのです。これだけの要素をステージ中に埋め込みながら、それら全てを素通りする自由をプレイヤーに許していることこそが、2Dマリオ最大の美点なのだと自分は考えます。ここまで潔いデザインというのは中々出来るものではないです。


 ちょっとマリオから話はズレますけど、ゼルダはマリオと違って探査性が極めて高いゲームになんですね。なにしろ主人公のリンクは最初は剣すら持っていないという最弱の初期状態からのスタートです。2Dのマリオが初期状態からクリアする上で必要な能力を全て持っているのとは真逆なんです。マリオとゼルダっていうのはそういう意味で表と裏の関係性にあるゲームになんです。


 もうちょっと話ズラしちゃうと、RPGってジャンルは探査性が非常に高いジャンルなのですが、あまりにも探査性を高くすると、プレイヤーをゲームに中に放り出すことに繋がるってんで工夫に工夫にを重ねたのが、いきなりラスボスの城を見せてしまうことで、到達型ゲームに強引に寄せたドラゴンクエスト1なんですね。


 話を戻しましょう。これまで説明してきたように、2Dのマリオというのはクリアに必要な探査性を低くすることで、広い層の支持を得ることに成功したゲームです。では、3Dのマリオはどうだったのでしょうか。


 3Dになることでマリオは広大なフィールドを駆け回ることが出来るようになりました。ですが、その自由と引き換えに、自分の進むべき道を自分で決める必要性、言わば探査の義務が課せられるようにもなったのです。


 ゲーム中の探査性を高めるということは必ずしも悪いわけではありません。その証拠に探査性に比重を置いたゼルダの伝説は世界的に最高レベルの評価を得ています。やっぱり自分の力で道を切り開く感覚が味わえる探査型のゲームにはゲームにが好きな人にとっては本当に最高のゲームなんです。そしてゼルダのようなタイプのゲームを愛してやまないようなタイプの人にとって3Dのマリオ、とくにマリオ64は極上の一品と呼べるでしょう。本当に今遊んでも面白いんだこれが。

 
  ですが、やはり探査性に比重を置くことで3Dのマリオは、特に国内においては、以前のような国民的なゲームタイトルは言えなくなってしまったのではないのかなと思います。


  そして、この事実を最も問題視したのは他でもない任天堂自身だったのです。ここから、3Dマリオの苦闘の歴史が始まります。

3D到達型ジャンプアクションの誕生

 はい、といことで、傑作でありながらも問題を孕んだマリオ64の次にはマリオサンシャインがくるわけなんですが、これについて語ってるとまた大分長くなるんで、今回は割愛します。この作品によって探査型マリオとしてはより完成度が上がった部分もあり、なんか混迷を深めてる部分もあったりこれも色々言いたい所が多いんで、また別の機会に。


 3Dマリオの転機はマリオサンシャインの次のタイトル、マリオギャラクシーの発売からです。


 このタイトルの特徴は、マリオが駆け回るフィールドを球体状にしたことにあります。こうすることで、コンパクトなのに無限に駆け回れるフィールドが表現可能になりました。そして、ステージが球体であるということ以上に重要なのは、それら球体のステージを団子を並べるように順番に配置したことにあります。こうすることで、広い空間を走り回れる3Dならではの面白味と、大筋の経路を制限することで、広大過ぎるフィールドで余計な探査をしなくても目の前の問題に対処し続けるだけでゲームをクリアできるという、2Dマリオに近い到達性に比重を置いたゲームになることが出来ました。
 

  マリオギャラクシーは続編となるマリオギャラクシー2も作られ、どちらも国内外で非常に高い評価を得ました。任天堂自身、相当な試行錯誤の果てに、やはりマリオは探査性に比重をおくよりも、単純明快な到達性重視のゲームであるべきだと考えたのでしょう。ということでめでたしめでたし、と行きたいところですが、任天堂の3Dマリオの試行錯誤の歴史はまだ終わりません。ということで、ようやく、マリオ3Dランドに辿り着きました。これ本当にマリオ3Dランドのレビューをなのかよ?


 圧倒的な評価を得たマリオギャラクシーですが、問題が全くなかったというわけではないのです。マリオギャラクシーの問題点、それをやや難癖気味に指摘するならば、それはジャンプの重要性の低下です。特にマリオギャラクシー2に至っては3Dジャンプアクションというよりも3Dギミックアクションとでも呼ぶべきものになっていました。それはそれで、面白いんだからなんの問題もないと自分でも思いますが、任天堂はそれでも納得してなかったようです。そう考えないとマリオ3Dランドがこのようになったことの説明がつかないんです。


 ここまでまあ長々と書いてきましたが、マリオ3Dランドが素晴らしいのは3Dマリオが3Dの楽しさを失わずに、2Dマリオのような単純明快な到達型のジャンプアクションとしての完成されきっているからです。


 特に感心したのは、マリオ64からずっと3Dマリオの必須アクションとなっていた壁掴みを、ここに来て廃止したことです。平面のTV画面に立体的な空間を描画する以上、距離感の掴み辛さという問題は常に付き纏う3Dアクションの問題なのですが、丁寧に作られたステージ構成、カメラワーク、そして立体視等、様々な工夫によって快適にジャンプアクション出来るようになっているのは本当に見事だと思います。


 マリオ64から15年かけて、任天堂は、とうとうマリオ3Dランドという一つの頂点に到達しました。こうやって書いてしまうとなんてことのない事のようにも思えますが、誰でも遊べる3Dマリオというテーマを15年もかけて追求できる組織が任天堂以外にあるでしょうか。僕は無いと思います。


 15年後にゲーム業界がどうなっているのか。自分には想像も付きませんし、多分想像もしなかった形になっているんだと思います。ですが、一つだけ確実なのは、15年後もマリオは最新の形で存在し続けるだろうなってことです。そのことを確信させるに十分な作品だったと思います。自分にとっての2011年のベスト作品はマリオ3Dランドです。


 もう2012年も終わっちゃうのにねえ。ちなみに2位はポータル2な。