ベイマックスは語りの手際が良過ぎる

カール爺さんの空飛ぶ家あたりから意識し始めたことなんだけど、ここ最近のディズニー/ピクサー映画は語りの手際が良過ぎると思う。

 

カール爺さんの冒頭にはやられた。少年が生涯のパートナーになるであろう少女と出会って、恋愛して、結婚して、色々会って片方が死ぬまでのエピソードを冒頭の十数分で見せ切ってしまうあの手際!あそこだけで映画一本分みたくらいの満足感があった。

 

 

去年大ヒットしたアナ雪も子供から成長するまでの見せ方がえらいテンポ良かったし、思えばトイストーリー2のジェシーがおもちゃとして買われて遊ばれて捨てられるまでのシークエンスはそれはそれは見事の一言だったんで、ピクサーのお家芸みたいなもんなのかなと思う。

 

しかしだ。それにしたってベイマックスの語りの手際の良さは最早異常な領域に達している。ちょっと3つぐらいにわけてベイマックスのストーリー紹介をしてみよう。以下ネタバレ全開なので、まだ見てない人は注意。

 

天才的な頭脳を持ちながらその才能を持て余し気味の少年、ヒロ。そんな彼を見かねた兄は、彼を自分の大学の研究室へ連れて行く。そこでヒロは出会う。自分の持てる情熱、能力の全てをぶつけられる存在に。しかし、天才とはいえ、彼はまだまだ13歳の少年、すぐに望みが適うとは限らない。初めてぶつかる自分の才能の限界、改めて気付かされる自分を支えてくれる存在のかけがえの無さ。幾多の仲間に支えられ、彼は一世一代の勝負の場に挑む…。

 

はい、これでまだ全然冒頭。次は予告編に近い感じで

 

 最愛の兄を失い、失意の鈍底にいる少年、ヒロ。彼の傍らには兄が生前に作った健康ケアロボット、ベイマックスが残された。ベイマックスの事を疎ましく思いながらもそこに次第に亡き兄の面影を感じ取るヒロ。心に傷を負った少年と、身体をケアするロボットの不思議な交流が始まる。

 

最後にこんな感じ。

不可解な事故で兄を失った少年、ヒロ。彼は兄が残してくれたロボット、ベイマックスと共に少ない手がかりを頼りに真相を探ろうとしていた。そこで彼は意外な事実に気付かされる。信じ難い事実を目の当たりにし、仲間達の助けを借りながらも断固として戦おうとする彼の目に灯るのは正義…、いや復讐の炎? 生まれ変わった健康ロボット、鉄の悪魔を叩いて砕く、ベイマックスがやらねば誰がやる。アクション巨編ついに開幕!

 

若干膨らましてはいるけど、この3つどれも基本的に嘘はついてないっていうかベイマックスの内容をそれなりに説明してると思う。1つ1つで、充分映画一本分作れそうなネタをこの映画は一気に語り尽くしてしまうんだよね。つーか上の3つに入ってない要素だってまだまだある。

 

日本版の予告編が本編のアクション要素とかヒーロー要素をスポイルしてるって騒がれたりもしてたんだけど、ちょっとしょうがないようにも思うんだよ。多分映画の一通りの要素を予告編の短い時間にまとめようとしたら多分しっちゃかめっちゃかでわけが判らなくなるんじゃないかと思う。


『ベイマックス』本予告編 - YouTube

 

なんでこうも昨今のディズニー/ピクサー映画はこうも語りの手際に磨きをかけるのかなと思うんだけど、おそらくそれは海外ドラマの隆盛と関係があるんじゃないかな。海外ドラマと映画の最大の違いは何かと言えばそれは、尺の長さが圧倒的に違うってことだ。2時間では語りきれないような膨大な内容も海外ドラマなら語る事が出来る。なぜなら海外ドラマは映画の数倍、なんだったら数十倍の時間をかけてドラマを描くことが出来るからだ。その辺の事情に対する映画側からのアンサーなんじゃないのって思うんだよね。まあ後当然テンポ良く話しが進むってそれだけで面白いってのもあるんだけど。

 

M-1グランプリの存在によって日本の漫才は異様に早いテンポで大量のボケを短時間に込めるようになったけど、今のディズニー/ピクサーもなんかそれに近い手数論的な領域に入ってるんじゃないかなと思う。そしてベイマックスが本当にすごいのはそこまで話し運びが高速化してるにも関わらず万人に受ける映画足り得ているってことだ。日本のアニメ的な意匠云々とかより自分はこっちの方に脅威を感じるし興味深いなーと思うのである。

 

The Art of ベイマックス(ジ・アート・オブ ベイマックス)

The Art of ベイマックス(ジ・アート・オブ ベイマックス)