読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

ゲームにおける「身体」と「空間」

多くのゲームには「身体」と「空間」がある。


ゲームにおける「身体」とはスーパーマリオブラザーズにおけるマリオであり、ドラゴンクエストにおける勇者であり、FPSにおける画面の下から突き出た銃を持った腕のことである。


では、ゲームにおける「空間」とは何かと言えば、マリオが駆け抜けるフィールドであり、勇者が冒険の旅をするアレフガルドの大地であり、FPSにおける銃弾が飛び交う戦場のことだろう。


ゲーム的「身体」とは端的に言ってしまえばパソコン操作の際に用いるマウスカーソルのことだ。そして、ゲーム的「空間」とは、カーソルが動き回ることができるモニターである。ファイルやフォルダ、アプリケーションのアイコンはゲーム空間上にある障害物や建物といったオブジェクトのようなものだと言えるかもしれない。


なんらかの機能を持った「身体」がその機能を駆使することが可能な「空間」に介入することでゲームは駆動を開始する。


ここで、レースゲームのおける「身体」と「空間」について考えてみよう。


レースゲームをプレイする上で重要なのは、自分が操縦する車という名のレースゲームにおける「身体」の持つ性能の把握と、これから自分が走破することになるコースという名の「空間」の把握である。車の操作感覚に精通することで、己の「身体」を自由自在に操れるようになるし、コースという「空間」を把握することによって、何時どこでどのような事態が発生するのか、どのように「身体」を操作することが最適であるのか、予め対処することが可能になる。


レースゲームとは「身体」を把握し、的確に操作する技術と、「空間」を把握し、目の前の状況に的確に対応していく技術の両方が必要とされるゲームジャンルだと言えるだろう。


では次に2Dの横スクロール型アクションゲームについて考えてみたい。


2Dというだけあって、このゲームジャンルは「空間」を平面に制限することで立ち上がるジャンルである。平面に制限は加えたが、横方向への移動は可能にすることで、右から左へ、左から右へという、絵巻物を見るかのような特異な「空間」を持ったジャンルだ。


このような制限を加えたことで、このジャンルはプレイヤーの「身体」とその他の対象との距離感が非常に直感的に把握し易くなるという大きなメリットが得られる。建築物などの設計図を描く際に、真横から見た図や真上から見た図のような次元を限定した図を描くことで、空間をより的確に把握することが可能になることと同じような機能的恩恵をプレイヤーは得ることが出来る。2Dの横スクロールアクションゲームとは、そのような図面的と呼べる特異だが、非常に機能的な「空間」を持ったゲームだとも言えるのではないだろうか。


こんな調子でゲームにおける「空間」と「身体」について、この切り口で書こうと思えばいくらでもどんなゲームでも語れてしまうのだけど、ブログの記事でそれを延々やるのもウザったいのでここで論旨を一気に飛躍させてしまおう。僕は大雑把に分けてしまえば、海外のゲームは「空間」に注力する形で発展し、日本のゲームは「身体」に注力する形で発展を遂げて来たと思っている。


なぜ、このような根本的な水準で大きな違いが発生したのか?そこには幾つかの理由が考えられるが、最大の理由は海外のゲームの「身体」には「銃」が共に存在し、日本のゲームの「身体」にはそこまで「銃」が大きな存在ではないと言うことに尽きるのではないかと思う。


「空間」を制圧する上で「銃」は最も汎用的であり、最も優れた道具だ。


ある程度離れた位置にでも一瞬で攻撃を届かせる速度を持ち、種類に寄っては掌の中に納まるサイズまで小さくなり、指先の最小限の動きだけで起動が可能という、現在においては万能に近い攻撃道具、それが銃だ。


基本的には平面であるTV画面に3次元空間を再現する以上、どうしても奥行きを持った2点間の距離が掴み辛いという問題が発生する。この問題を解決する上で、銃は最も適した道具だった。だからこそFPS、TPSというジャンルは3次元空間を再現したタイプのゲームにおいて中心的なジャンルとして君臨することが出来たのだ。そして、そのような万能に近い性能を持った、グローバルスタンダードな「身体」を獲得出来たからこそ、海外ではレベルデザイン専用のチームが存在するほどに、ゲーム制作における「空間」に注力する文化が出来上がったのではないかと僕は考えている。


それに対して、「銃」を扱ったゲームが主流とは言い難い日本における「身体」と「空間」の扱い方はどうなっているのか?


「銃」を「身体」の機能として取り込むことを拒否した以上、それ以外の「身体」の在り方の模索は必須である。そのことだけが全てでは無いだろうけど、日本のゲームは異常に細かい機能を搭載した「身体」を持ったゲームが色々とある。


対戦格闘ゲームなんかはその細やかな「身体」を持った人間が登場する最たるジャンルである。にわかには覚えきれないほどの膨大な量の技とその操作方法を把握し、技の発生する速度をフレーム単位で見極めた上での、高度な駆け引きが必要とされる対戦格闘というジャンルは、ゲームにおける「身体」表現の1つの到達点ではないだろうか。


アクション性が必要とされないRPGというジャンルに部分的なアクション性を取り入れることで発展してきた側面のあるJRPGというジャンルも相当変わった「身体」の在り方を提示したきた。その異常なまでの成長のインフレぶりと、自分の職種をその都度変更することによって、1人の「身体」には通常ならば収まり切らないほどの多様なスキルを内包させようとする「身体」システム設計。よくよく考えてみればえらい歪なんだけど、それゆえにこそ、JRPGでしか出来ない「身体」表現がある。これもまた、「銃」を拒否することで生まれた極めて日本らしいゲームの形だろう。


というわけで、「銃」を身体機能の主軸に据えることで「空間」に注力してきた海外のゲームと、一部の例外を除いて「銃」が主軸となり得ないが故に「身体」の機能性を様々な形で、追求、表現してきた日本のゲームなのだが、今後はどうなるんだろう?このままそれぞれの個性っていうか特性に特化する形で発展したり衰退したりするのだろうか?


 個人的には海外のゲームは今まで「空間」に注力して来たからこそ「身体」に発展の余地があるし、日本のゲームは特殊な「身体」の発展を遂げてきたからこそ、それを活かす「空間」を構築する方向に発展の可能性があると思っている。


海外のゲームで「身体」という側面において面白いなーと思うゲームに「バットマン」シリーズがある。



バットマン アーカム・シティ - YouTube


このゲームが面白いのは架空の都市とは言え、現代のアメリカを舞台にしながら、主人公が主要な武器として「銃」を使わないところである。


なぜ、主人公が銃を使わないで、銃を容赦なく使ってくる暴漢達に立ち向かうのかと言えば、それは彼がバットマンだからである。バットマンという特殊な「身体」をゲームの主人公として据えることで、見事に「銃」に依存しない「身体」を現代を舞台としたオープンワールドゲームに登場させることをプレイヤーに説得力のある形で提示することに成功している。まあ、かなり銃的なアイテムもあるっちゃるんだけど、その辺はご愛嬌ってことで、次回作のアーカムナイトではバットモービルにまで乗れちゃうし大砲もぶっ放せるんだけど、一応ぶっ放す対象は人間じゃないってことを一応示すあたりが律儀過ぎてちょっと可笑しい。発売が楽しみ。



ゲーム『バットマン:アーカム・ナイト』第2弾 ゲームプレイ トレーラー 2014年発売 - YouTube


日本は日本でぼちぼち海外に勝るとも劣らない「空間」を構築したゲームが登場し始めている。その代表と言ったらなんと言ってももう直ぐ発売ということで、定期的にまとまった映像と情報が公開されている「ゼノブレイドクロス」ではないだろうか。



XenobladeX フィールド編 - YouTube


オープンワールドJRPG的解釈というか、今では揶揄とか嘲笑の対象でしかないような厨二的な世界観、特にフィールドを徹底して作り込むとここまで世界的に見てもフレッシュになり得るのかっていう意味でも非常に面白い存在になっていると思う。前作ゼノブレイド以降JRPGの再先端の1つであることは間違いないだろう。


あと海外が「空間」で日本が「身体」なんてザックリ区分けしちゃってるけど、任天堂だけは「身体」と「空間」の両方に均等に跨がるようにゲーム作りをしてきたと思っていて、マリオシリーズなんかはその代表例だと思ってたりするし、ゼルダの伝説の最新作がオープンワールドになることに対しても色々言いたいことがあるんだけど、やっぱり今回の主題、ゲームにおける「身体」と「空間」を考える上で、一番興味深いし、本当に発売が楽しみなのは、このタイトルなのである。



【WiiU】 Splatoon(スプラトゥーン)最新映像公開!発売日決定! - YouTube


はい、出ました。「スプラトゥーン」です。これでやってみてクソゲーだったら俺死ぬんじゃないかってほどに楽しみにしてます。


このゲーム、「身体」に複数の機能がコンパクトな形で集約されていること、「空間」に色んな形でアクセスが出来ることの他に、「身体」の機能によって「空間」を書き換える、ゲームに即して言えば「塗り替える」ことを極めてシンプル且つインスタントな形で提示出来てるのも素晴らしいと思うんだけど、まあやっぱりこれ以上は実際やってから言うとしよう。まあ世界的水準で見ても今年最注目タイトルなのは間違いないだろうね。


今回、僕が提示した「身体」と「空間」というのはあくまでも1つの観点に過ぎない。これで全てのゲームが見通せるってわけではない。このゲームで語り辛い領域に「ノベルゲーム」がある。「ノベルゲーム」における「文字」を「身体」とみなすか「空間」とみなすかは中々難しい問題だ。でも、敢えて1つの視座でモノを眺めることで見えてくる事もあるだろうということで、このような文を書いてみた次第だ。ま、「ゼノブレイドクロス」と「バットマンアーカムナイト」と「スプラトゥーン」が発売されたらこの辺の考えについて更に一段深めた文章を書くかもしれないので、とりあえず今日はこの辺で。いやー、今年もゲームが楽しそうですね。それではまた!