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父と子、師匠と弟子の物語としてのスターウォーズ

公開されてボチボチ時間も経ってきたし、自分もなんやかやで映画館で3回(2D字幕、IMAX3D字幕、MX4D字幕でそれぞれ一階ずつ鑑賞)観たんで、スターウォーズフォースの覚醒について語りたいと思いまーす。以下ガッツリネタバレしてるんでまだ観てない人はご注意ください。

スターウォーズに通底するテーマ

そもそもスターウォーズとは「父と子」の物語であり、「師匠と弟子」の物語でもあった。他にも色んな要素はあるし、こんな言い切っちゃっていいのか自分でも不安になるが、「父と子」、「師匠と弟子」って要素がスターウォーズサーガで相当大きな比重を占めるテーマであることは確かだろう。


ざっくり自分なりに語ってしまえば、良き師匠に出会うことで自分の本来の力に目覚めて成長し、最終的には自分を呪縛し支配しようとしてくる父との対立すら乗り越え一人前のジェダイの騎士になるってのがエピソード4、5、6におけるルークの物語だとしたら、最初に自分を導いてくれる筈だった師匠と不幸な形で別れてしまったがために、最後の最後まで自分にとっての師匠と出会い損ねて悲劇的な最後を迎えるのがエピソード1、2、3におけるアナキンの物語だった。


エピソード3におけるオビ=ワンの「弟だと思ってたのに!」ってセリフはアナキンにとっての父にはなれないし、アナキンの師匠としては最後まで中途半端だったオビ=ワンの立ち位置を痛切なまでに表現しててなかなかに切ない。んで、アナキンにとっての父であり師の立場をガッツリとパルパティーンに持って行かれてプリクエル3部作は完結することになる。散々に不評だったプリクエルだけど、「父と子」、「師匠と弟子」って観点から振り返ってみると結構筋は通ってたなあと今更ながら思う。

エピソード7における父と子

エピソード7では新たに2人の人物が父親になっている。それはルークとハン・ソロだ。まあ、ルークが父親になった件ってまだ確定ではないんだけど、ここではルークは父親になったっていうことにして話を進める。


初期3部作、エピソード4、5、6でのメイン男性キャラクターと言える2人が父親になったんだけど、これがまあどちらも残念な父親としか言いようがないことになっていて、ルークは子供(と思われるレイのことを)そっちのけでどっか行ってしまうし、ハン・ソロに至っては、息子のカイロ・レンが完全に中二病に染まりあがって取り返しのつかないレベルになってしまっている。


エピソード6であれほどのハッピーエンドを迎えながらもこの両者のその後辿った道のバッドルートぶりたるや…


まあでも、ハン・ソロは彼なりのけじめをつけようと行動に出たわけだし(結果は残念でしたが…)、ルークはまだ存命であるし、今後も重要キャラクターでいる以上まだまだ取り返しの余地はある。これからこれから!


なにはともあれ、スターウォーズは新しい3部作においても、父と子というテーマを引き継ぐということはエピソード7の時点で確定したわけである。カイロ・レンにレイが思考を読まれそうになった時も、ハン・ソロを父のように思っているって言ってたし、おそらくエピソード8ではあのセリフを誰かしら言うんだろうね。前作の主人公を新しい作品で不幸にするって、旧作のファンからの反発心を招きかねない行為なわけで、ここに意外と不評の声がそれほど挙がらないってのは、それだけ今作がかなり巧妙に作ってあるってことなんだろう。


問題は「師匠と弟子」についてだ。


このテーマもエピソード7は引き継いでいると考えているが、実はテーマ自体は引き継ぎながら、かなりスターウォーズの根幹にメスを入れて、旧作から大きな違いを生み出しているんじゃないかと思っている。ということで次にエピソード7における「師匠と弟子」のあり方について考察してみよう。

エピソード7における師匠と弟子

エピソード4におけるオビ=ワン、エピソード1におけるクワイ=ガンの立ち位置に、エピソード7で位置する人物が誰かと言えば、これは間違いなくハン・ソロだろう。彼以外には考えられない。なんせ3人とも映画における後半あたりの同じようなタイミングで死んでるし。シリーズ初めてジェダイ以外で師匠のポジションに、一番師匠的なポジションとは縁遠そうなハン・ソロが着いたわけである。ジェダイ以外の存在を師匠の位置に据える、こここそがエピソード7における過去作と決定的に違うポイントである。


では、ハン・ソロが師匠なら弟子は誰か?言う間でもなくそれはレイだろう。


ルークをジェダイとして導いてダースベイダーにやられた(霊体化したんだけど)オビ=ワン。アナキンをジェダイとして導く前にダース・モールの手にかかって亡くなったクワイ=ガン。ではハン・ソロジェダイマスターでない師匠としてレイをどのように導いたのか。レイに一体何を伝えたのか。


劇中でハン・ソロはレイに対して、大きく三つのことをしている。一つはフォースやジェダイという存在が真実であると告げること、二つ目が戦うための手段を与えること、そして最後が最も重要なんだけど、レイの持っている技量を誰より適切な形で評価した上で居場所を提供することだ。


一つ目の、既におとぎ話や神話の類のような扱われ方をしているフォースやジェダイという存在を同様に伝説化した存在であるハン・ソロ自身の説得力でもって真実であると告げることで、以降、レイやフィンはフォースやジェダイの存在を疑うことを止める。新しい主人公達を今まで触れたことのない世界へまず最初に導く役割をこれ以上な形で果たしてくれていると言えるだろう。観客からしてみればフォースやジェダイなんて自明の存在でしかないんだから、それを不必要に疑ってかかるキャラなんて、映画のテンポを崩すだけなんで、そういう意味でもハン・ソロは良い仕事をしてくれていた。予告編でも出てたから繰り返し繰り返し散々観たシーンではあるんだけど、劇場で改めて観るとやっぱグッとくるんだ、ここは。


後にやってくるレイのフォースへの覚醒するきっかけとしてもハン・ソロによる圧倒的な肯定は少なくない意味があったのではないかと思う。フィンはちょっとフォースの捉え方を間違えてたみたいだけど。


二つ目の攻撃手段の提供、これもレイとハン・ソロの関係性を考える上ではとても重要である。映画の中盤で、ハン・ソロが護身用の銃をレイに渡した時にレイは、一度は拒むんだけど、結局ハン・ソロに諭される形で銃を受け取ることになる。おそらくこのシーンはレイが初めて他者からの贈り物を受け取ったシーンである。贈り物ではないけど、フィンがレイの手を取って逃げようとした時にはその手を拒んでるし、商取引ではあるけど、BB-8を破格の対価でもって交換するように持ちかけられた時にも断っていたレイがである。そしてなにより本来であれば自分が受け継ぐべきであると告げられたライトセーバーをきっぱり拒否したことから考えても、レイとハン・ソロが短期間の間にかなり特別な関係を結びつつあったことがわかる。


そして三つ目、ハン・ソロによる、レイの持つ資質への肯定的な評価と、居場所の提供である。これが最もレイとハン・ソロの関係性を考える上で最も重要なポイントだと思う。


一応劇場で3回観た上での見解なんで、まあ見落としは無いとは思うんだけど、劇中でレイは、ハン・ソロに出会うまで、一方的な形でホメられるということを誰からもされていない。スカベンジャーとして働くレイを褒めてくれる人は劇中からわかる範囲では一人もいなかった。フィンとレイがお互いを称えあうようなシーンはあったけど、レイが一方的に褒められたり、認められたりするシーンは無い。


そんなレイの前に現れたハン・ソロが本当に短い期間ではあるが、同じ船に乗って技術者としてのレイの技量を認め、若干照れくさそうにしつつもレイをミレニアムファルコンのメンバーとして勧誘した際のレイの顔!誘いを断ってはいるものの笑みがこぼれずにはおれないって感じのレイの顔ですよ顔!!この3つ目の行為によってレイとハン・ソロの関係は決定的なものになる。レイにとってのハン・ソロとは、ある程度は成長しつつある自分にとって初めて現れた、自分の存在を認めてくれた上で、別の世界へと導いてくれようとした存在なのである。


劇中でレイとハン・ソロが共に過ごした時間は恐ろしく短い、しかしハン・ソロがやられるシーンでのレイの絶叫に違和感を感じる人や、最後の最後でミレニアムファルコンをガッツリと受け継いでいることに対して不平不満を述べる人が恐ろしく少ない(少なくとも自分は見たことない)のは、レイとハン・ソロが短い時間の中でかなり重要なやり取りをしていたことが、観る側にも伝わっていたからだろう。最後の最後までライトセーバーに関しては自分の所有物としては認めない姿勢を見せたことと対比してみても、二人が「師匠と弟子」の関係をきっちり結んでいたことがわかるのではないだろうか。チューバッカに認められてたってのも大きそうなんだけど。

エピソード7で受け継がれるもの

エピソード7において、父親としてのハン・ソロは結局子育てには失敗したダメな父親だったのかもしれない。カイロ・レンがまた「わが父の魂を超えてシスとして更なる高見に立つ自分…」とかうっとりしながらベイダーさんのマスクに語りかけてそうで、本当に浮かばれない最後を迎えるところだったんだけど、師匠としてのハン・ソロは自分の愛機であるミレニアムファルコンの継承者を見つけることが出来た。本人に師匠としての自覚があったのかは定かではないが、それでも彼がレイにした行為は今後の物語にとっても非常に重要な行為であったことは間違いないだろう。エピソード7の副題は「フォースの覚醒」なんだけど、別の副題つけるなら「二代目ミレニアムファルコン船長襲名」なのである。


ジェダイ以外の人物を師匠の立場に据えることで、エピソード7はジェダイやフォースなどを超えてもって広い意味での継承の物語にスターウォーズサーガを再構成した。もはや使命というよりも義務感すら感じるレベルでのファンサービスをてんこ盛りにしつつ、根本の部分で物語の持つ回路設計をより開かれた広い形に、旧来からのファンの拒絶反応が起きないように最大限配慮しつつ組み替えることに成功している。これは驚異的なことだろう。


ジョージ・ルーカスにとっての映画の師匠は黒澤明だったが、新3部作のスタッフたちにとっての師匠は誰だろう。それは、かつてのスターウォーズを作ったスタッフ達なのではないか。だからどうしても最後までジェダイの内輪もめ感が拭えなかったプリクエル3部作の轍を踏まないために、ジェダイ以外の人物を師匠のポジションに据える必要があったし、その立場にハン・ソロを立たせる必要があった。彼以上の適役は考えられないだろう。


当然、ジェダイとシスという存在、フォースという概念は今後もスターウォーズシリーズにとって重要なものではあり続けるに違いない。だが、エピソード7においては、その問題はエピソード8以降に預けた感がある。最後のライトセーバー渡すのって、次へのバトンタッチにも見えなくないし、まあこの辺は深読みだけど。


なにはともあれ、誇張抜きで今世紀最も高いハードルを課された状態で公開された本作であるが、そのハードは見事飛び越えたように思う。そして、ここまでこの文中で考察してきたように、飛び越えたハードルの地下で、非常に巧妙な形で根本部分の組み替えに成功した食えない作品であるとも思う。エピソード8が公開されるまで、これから何回も観ることになるんだろう。考えうる限り、最高の形での新三部作の幕開けなんじゃないだろうか。


父のような存在としてのハン・ソロ

最後に、ちょっとだけ触れておくとカイロ・レンにレイの脳内を読まれてた時にハン・ソロを父の様に思っているってカイロ・レンが言ってて、レイとハン・ソロって「師匠と弟子」っていう関係以外にも擬似的な形とはいえ「父と子」っていう関係性のなかでも語れるんだろうけど、その辺はまあエピソード8でよりはっきりわかるんじゃないかと思うので、次作を待つとしましょう。