『Nintendo Switch』は「枯れたテレビの水平思考」をしようとしている

先日遂に任天堂の次世代ハード、『Nintendo Switch』が発表された。


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まだ完全な情報が公開されたわけでもないし、実際に遊んだわけでもないので、確定した評価をするには早過ぎる。だが、敢えて公開された部分でのみ判断するなら、全く予想外の新概念を提示とまではいかず、大旨ネット上などでなされた予想の範疇を大枠でなぞりつつも、予想以上のスマートさでそれらを提示することで、予想通りに予想以上なハードが登場したという印象を自分は受けた。


そんな『Nintendo Switch』について自分なりに着目するポイントは大きく二つある。


一つはモニター、もう一つはコントローラーだ。そしてこれらのポイントをまとめると、『Nintendo Switch』は「枯れたTVの水平思考」を行おうとしているのではないかという結論に自分は至った。


どういうことか?


テレビというデバイスが既に枯れつつあるということは、比較的受け入れ易い考え方ではないかと思う。4K、8Kというスペック的向上の余地があるとはいえ、現状のままで困らないといえば困らないし、PCやスマートフォンで既に用途を満たしているという人も少なくはないだろう。


だからモニターを持ち運べることをもってして『Nintendo Switch』がテレビを水平展開しているなんてことを言いたいわけではもちろんない。今更何をという話である。僕が考えているのは、この新ハードは現在においてもテレビでなければ満たすことが難しいテレビならではの特性を拡張しようとしているのではないかということについてだ。


かつてこれほどまでに各個人がそれぞれ自分のためだけのモニターを所有し、一対一の形でモニターと向き合う頻度が多くなった時代はかつて無かった。スマホタブレット、PCといったそれらのデバイスのモニターはパーソナルモニターと呼べるだろう。


それに対して、テレビというデバイスはパーソナルモニターという特性を持ちつつも、未だに皆で一つのモニターを見るという、リビングの中心の座、パブリックなモニターとしての特性を現在まで持ち続けている。


その特性を踏まえて以下の映像を見てみよう。


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もう、お分かりだろうか、『Nintendo Switch』はパブリックモニターとしてのテレビで遊べるだけでなく、付属のモニターすらも複数の人数で一つの画面に注目するパブリックモニターとしての側面を持っていることを、かなり時間を割いてアピールしている、パブリックなモニターを持ったパブリックなゲームハード、それが『Nintendo Switch』なのである。


スタンド式のモニターだけでなく、分離式のコントローラーも大きなポイントだ。一体何時以来だろうか、ゲームハードにデフォルトで搭載されている、2コンが復活したのは。ドッキングすれば通常コントローラーとして過不足のない機能を持ちながら、分離することで2コンにもなるという発明。とりあえずこれで皆で「くにおくん」やりたいよね。


携帯機とテレビにスムーズに接続し、分離出来る部分までは公開されていたものの、それ以外の機器に接続するという情報はまだ公開こそされていなかったが、可能性は大いに有ると考えておいたほうがいいだろう。たとえばダブルスクリーン機能を切った替わりにスマホのモニターをゲームモニターとして使用できるとしたら…?なんてな妄想が膨らむがまあこの辺まだ妄想の域を出ないのでやめておこう。


おそらく今後の任天堂を語る上でキーになるのは今回この文章で述べたような意味での、人と人が同じ場所に集まることで生まれる「パブリック性」ではないかと思う。期せずしてその最大の尖兵に既になっているのが『ポケモンGO』であることは言うまでもない。そして自分が、『Nintendo Switch』が「枯れたテレビの水平思考」をしようとしているのではないかと考えるのは、ゲームにおける「パブリック性」の再解釈、再構築を狙っているのではないかと考えるからである。究極のパーソナルモニター、ヘッドマウントディスプレイによって表現される「VR」とはまた違う提案として、非常に面白いハードになりそうだ。


てな感じで理念的な評価は良いとしても、肝心なのは当然ソフトなわけですが、その点、Switchはとりあえずみんなでわいわい『スプラトゥーン』出来るってだけで元がとれそうなんで、ボリュームは最小限で後からアプデしてくれればいいから出来ればローンチで新作をオナシャス!!