ゼルダのストーリーテリングのあり方と電ファミ連載のこと

このブログでは碌に告知もしてませんでしたが、去年から「電ファミニコゲーマー」にて連載を始めています。


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すでに連載は八回目で特別編入れると9回分の記事を寄稿しております。


んで、先日連載八回目となる『ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド』(以下BotW)の批評記事をアップしたんですが、自分のブログで4千字以上書いて、電ファミでは8千字以上書いたにも関わらずまだ書き足りないんですね。本当に恐ろしいゲームですね。


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記事の文末で軽く言及した『BotW』で発明された一つのエポックとも言えるであろう化学エンジンについては長くなりそうなんでまた別途書くとして、ここで言及しておきたいのは『BotW』のストーリー、とくにゼルダ姫関連のストーリーテリングのあり方についてです。


ウツシエの情報を頼りにマップ中の特定の場所に到達することによって取り戻せる過去の記憶によって描かれるゼルダ姫の物語は、従来のシリーズのゼルダ姫とは一線を画する内省的な物語で、任天堂のゲームにしては珍しい眺めのムービーによって描かれるそれは、人によってはウザったくも感じかねない、ゲームプレイを阻害する要因として見なされかねないような危うい物語でもあったように僕は思います。

ですが、『BotW』のこのストーリーはそんなにウザったく感じないんですね。少なくとも自分はそうでした。ネット上でもあんまりストーリーに対する反発的な意見を聞いたことがありません。まあミファーの圧倒的なヒロイン感に比べるとゼルダ姫は若干弱いみたいな意見は見かけますけど。とはいえ今回の任天堂らしからぬ内省的なキャラクターをムービー主体で見せる今回のメインストーリーは好評を得たと言っていいのではないでしょうか。


好評を得た要因として、電ファミの自分の記事でも触れたんですが、今作って本当にプレイヤーに対する命令が少ない、別の言い方をすれば不要な義務を課さないってことに尽きるんだと思います。

なんでゲームにおいてムービーであるとか、過剰に内省的なキャラクターが嫌われるのかと言えば、やっぱりゲームが能動性を駆使してなんぼのメディアだからで、その能動性を阻害する要因だからではないかと思います。

でも『BotW』におけるウツシエの記憶は発見しても褒美も無いし、探さなければ先には進めないという義務もない。本当にそのムービーを探して見てみたいと思う人のみが見つければいいという要素になっている。だから流されるムービーはプレイヤーが見たいと思って見るものになっているので、邪魔に感じないようになっているわけです。これって中々に画期的なストーリーテリングの手法の発明になってるんじゃないかと思ってたりします。


それにしても、『BotW』に限らずここ最近の任天堂のゲーム開発力には驚かされるばかりです。なんていうか64以降散々悪戦苦闘しまくっていた3D空間との関係のとり方についに決着をつけつつある感じがします。まあこの辺は解説してると長くなるので、電ファミの連載で語っていくことになるでしょう。