M-1とR-1の評価基準の違い
審査する番組としてはM-1のほうが完成度が高いと思う。M-1は漫才という一つの「型」を審査するので、その道の達人達がその芸を審議すれば良いからだ。
そのため、去年の年末で、あくまで漫才の型を守ったノンスタイルが、漫才の型に揺さぶりをかけるオードリーを破って、優勝したこと、その中で紳助がノンスタイルを推したことは非常に正しい判断だったと思う。
従来の型を破る存在はかつての笑い飯のように衝撃を見る人に与えるし、新しい存在として、熱を帯びた支持を得やすい。しかし、型を破ることにそこまで高い評価を簡単に与えてしまえば、M-1は漫才を審査する番組ではなく、如何に漫才を破壊し合うかを競う番組になるだろう。それは漫才という型の衰退を招いてしまうのではないか。
極論すれば、M-1は面白い破壊より多少詰まらなくても完成度の高い漫才が評価される場所なのではないか。
それに対してR-1には確固たる、守るべき「型」が存在しない。基本的に何をやっても自由だ。そのため、審査基準にブレが生じることになる。フリップ芸一筋30年の重鎮なんて、多分いないだろうしそれはもうしょうがないことだ。
昨日のR-1で個人的にはバカリズムとCOWCOWの片割れのフリップ芸が双壁だったけれど、結果的に優勝したのは中山功太だった。中山も詰まらないわけではなかった。むしろかなり面白かったし、サイクロンZなんかもかなり良かった。エハラマサユキも腹抱えて笑った。昨日のR-1は非常に笑える番組だった。
おそらく色々なところでR-1の審査の不満は語られているのではないかと思う。多分今後審査の方法が変わっていくのだろう。
しかし、個人的にはこの不完全な審査体制でR-1は良いのではないかと思う。なぜなら審査体制を整備してしまうことはR-1でウケる「型」が出来上がることを招き、現在の様々な飛び道具が飛びかう自由な空気が損なわれるのではないかと思うからだ。
M-1はシビアに型の完成度を競う番組として、R-1は自由に多様なネタを披露する場として存在し合うことが、お互いにとって丁度良いのではないかと思う。
それにしても昨日は大変笑わせて頂きました。来年も楽しみにしたいと思います。