マリオをジャンプさせたのは誰か?

 ウィキペディアをなんとなく眺めていたらこんな記述が

後に『スーパーマリオブラザーズ』を手がけた宮本茂が、キャラクターデザインなどプログラミング以外をほぼ1人で制作したと言われているが、宮本の原案ではジャンプの概念が無く、マリオにジャンプをさせる概念を作ったのは後述する開発元の池上通信機によるアイデアであった。
 ドンキーコング - Wikipedia

 サラッととんでもないこと書いちゃってますがこれは本当なのでしょうか?池上通信機がゲームの仕様面にまで口出しをしていたということは正直初耳なのですが…。


 僕の知っている限りでは確かに、ジャンプという仕様を提示したのは、宮本茂ではありません。では誰が提示したのか?それは横井軍平その人です。

 工事現場を背景にしようと決めたら、宮本君から「上から樽が転がってきて、それを避けるというものにしよう」という提案がありました。その時は樽が転がってきたらはしごに登ってよけると。樽が通り過ぎたら、はしごを降りて、また足場を上に上っていくだけという単純なアイディアでした。


 でも、それだといかにもフラストレーションがたまるので、「樽が転がってきたら飛び越せるようにしろ」と言ったのが、ボタンで飛び越すというアイディアにつながったんですね。最初は果して転がってくる樽をボタンなんかで本当に飛び越せるんだろうかという不安があったんですが、実際にやってみたらけっこうできることがわかって、このアイディアを使ったのです。

横井軍平ゲーム館」より

 このように仕様をきっちりまとめて提示したってよりは、口出ししたって感じではありますが、はっきりと横井氏自身の口から、ドンキーコングにジャンプという概念が生まれた経緯が語られています。


 何分、当時の記憶を振り返って語っているので、記憶違いという可能性は無くはありませんし、プログラミングを担当した池上通信機の社員の方との試行錯誤だってそれなりにあったのでしょう。そんな中で池上通信機側からの提案だってあったのかもしれません。しかし、結局は企画原案はあくまで、任天堂側が行い、その原案に沿って池上通信機側がプログラミングしたという事実には変わりはないのだと思います。


 任天堂の歴史を振り返っていると必ずと言って良いほど突き当たるのがドンキーコングと池上通信機の話なのですが、なぜここまで頻繁に取りざたされるようになったのかが僕には正直よくわかりません。ドンキーコングというゲームを宮本茂はたった一人で作り上げたのだっていう、ある種のクリエイター伝説に対する冷や水的存在なのでしょうか?まあ確かに宮本茂自身がプログラミング作成まで行ったってことは無いと思うので、事実の記録として池上通信機の名前は挙げられて良いと思います。でも僕としては、そんなある種のゴシップめいた話よりは、当時の宮本茂横井軍平の師弟関係の方が、後世に語り継ぐ価値はあると思っています。横井氏の発言をもう少し引用してみましょう。

 その後、私は「マリオブラザーズ」という、私の企画したゲームの制作を宮本君にお願いしたんです。マンガ映画で、カメがひっくり返って甲羅をポイッと脱ぐシーンが面白くて、これをゲームにしようと。それで、下からカメを突き上げたらモガモガするというゲームになったんです。カメの他には、カニも出てきます。これは宮本君が出してきたキャラクターで、お伽話から発想がきているんじゃないでしょうか。


 後に彼がスーパーマリオを作って有名になったもんだから、ずーっと最初からマリオは彼の仕事になってしまったんですね。だからね、うちの社員なんかは知っていますから「なんで横井さん名乗り出ないの」(笑)って言うのですけど、「あんなん名前出したってしゃーないやろ」って言ってるんですよ。私としては、自分の考えたゲームがお客さんに受ければそれで満足なんで、誰が作ったなんでことは、わかる人だけわかっていればいいことだと思うわけです。

横井軍平ゲーム館」より

 
 マリオブラザーズの企画原案は横井軍平だったという結構驚きの事実がサラッと語られていますが、このエピソードはなんでドンキーコングのエピソードと並んで語られることは少ないのでしょうか?(まあこの本自体が絶版で読むのが難しいんだけど)マリオシリーズの定番キャラクター「ノコノコ」がこの時すでに横井氏自身から発案されてますし、カニのキャラクターが宮本茂から発案されてますが、後のシリーズで登場していないことを考えると、宮本茂にとっての黒歴史は、ドンキーコングと池上通信機の一件なのではなく、マリオブラザーズにカニのキャラクターを出してしまったことなのかもしれませんよ。マリオブラザーズだってさらに源流を辿るとジャウストっていうゲームがあったりします。


『マリオブラザーズ』の元ネタは『ジャウスト』? (その2):Runner's High!:So-netブログ


 ドンキーコングを作ったのは池上通信機というエピソードがそこそこ有名になった背景には、宮本茂という存在があまりに万能で、神格化されすぎていることへの危惧があるのかもしれませんが、それだったら、まずは師匠である横井軍平からの影響や、当時のゲーム業界の潮流から受けた影響を辿りそれを引き算するような形で彼の仕事を探っていけば、等身大の彼の仕事が見えてくるのではないかと僕は思います。そのように考えていくと、やはり彼がゲームクリエイターとして、ブレイクスルーを果たすのは、やはり「スーパーマリオブラザーズ」というタイトルが登場し、そこで、マリオがBダッシュでステージを駆け抜けたその時ではないかと思うのです。


Bダッシュの意味 - 枯れた知識の水平思考