ゼルダよりマリオが売れる理由

 マリオは技能型のゲームでゼルダは知能型のゲームだからだと思う。


 マリオ(特に初代)は謎を解く必要性がない。ただただ右へ右へ進めば良い。


 ゼルダは逆に全てにおいて自分の脳みそをつかってどうすれば良いのか探らなければならない。


 だからマリオで重要なのは「訓練」で、ゼルダで重要なのは「発見」なのだ。


 ゲームは反復練習するのに向いてるメディアだから「訓練」には向いてる。でも「発見」ってのは結局その人次第なんで、ヒントとかをたくさん盛り込んでおかないと、発見に至らない人を大幅に振り落とす可能性があるのだ。


 でも「発見」に特化したゲームってのはそうやって振り落とされる人々が大量にいるからこそ、クリアした人にすごい達成感と優越感を与える部分が多い。だからマリオよりゼルダの方が評価する声は大きかったりする。


 でもゼルダよりもマリオのほうが断然売れてるんだよね。今回のNewマリオも全世界でバカ売れするんだろう。


 そんな感じで最近ゲームにおける「技能」の側面と「知能」の側面について考えています。


 技能型のゲームっていうのはどっか目的の地点へと「到達」するゲームとも言えて、知能型のゲームっていうのはどっかにある正解を「探査」するゲームとも言えるんだと思う。


 この「到達」と「探査」という二つの要素を中心に据えてゲームについてこれからしばらく語っていこうと思います。このエントリはその前振りです。


 ちょっとだけ語っておくと、マリオっていうゲームは「到達」に軸足を置いて作られたゲームで、だから右へ進むだけつまりより右へ右へと到達し続けるだけでゲームをクリアすることができるゲームで、ゼルダは「探査」に軸足を置いて作られたゲーム。だからリンクは剣すら最初は持っていない。物語の冒頭で、剣を渡してくれる老人がいる洞窟を「探査」することで、物語は始動する。


 でもマリオは次第に到達型のゲームから次第に探査型のゲームへと変質し始め、マリオ64においては、かなり探査型のゲームへとゲーム内容が変わってしまった。だからこそ日本においてはマリオ64は苦戦することになる。(日本のゲームユーザーは探査を苦手とするユーザーが多いのではないかというのが自分の今考えている仮説)。


 逆にゼルダって64で3Dになると到達型へシフトしてる部分も多いんだよね。時間制限型の仕掛けが増えたりさ、風景でそれとなく目標を指し示したりさ。64によってマリオとゼルダっていう二つのゲームは結構近い位置に接近してたわけなんですよ。


 でもそれが再度、二極に分化しつつあるのが現在のマリオとゼルダ。今回のクッパが右へ右へと進むことで倒すことが出来るようになってるのは、マリオが原点回帰した証だと思うよ。DS版でかなり回帰はしてたんだけどね。


 そんな感じでまた例によって長く長く語り続けるよ。お楽しみに。