ニンテンドー3DSに見る任天堂の哲学

 アバターが映画における3D表現、3D映画演出のあり方を切り拓いたように任天堂もいよいよ3Dならではのゲーム文法、ゲーム演出のあり方を提示するのかとか、次世代バーチャルボーイかとか、とりあえずコナミは3Dラブプラスを早めにお願いしますとか色々思うことはあるけど、なにはともあれこのネーミングである。


 ニンテンドー3DS。 


 任天堂からしたらDSの次世代機を出すにあたって、ネーミングの問題は一番頭が痛いところではないかと僕は考えていた。なぜなら、DSというファミコン以来のネームバリューとブランドを確率した名前を捨てることはどう考えてもリスクが高いからだ。ファミコンのネームバリューを捨てて(それが全ての要因ってわけではないと思うが、要因の一つではあるだろう)国内のシェアを大きく落としたニンテンドウ64を思い出してしまうのは僕だけではないだろう。まあそれでも、普通にスペックを上げたDS2、スーパーDSなんて名前でもそれはそれで悪くないとは思うし、次世代DSに関しては任天堂のある種の伝統を踏んで思いっきり保守的にいくもんだと思っていた。


 それがDSの前にたった一文字、3をくっつけるだけでDSの名前を全く捨てずに、次世代DSの目玉機能のアピールに成功してしまったのである。2を飛び越えて3ですよってあたり、任天堂はまだまだ攻めまっせーっていう強気のアピールともとれなくない。守りと攻めの両方が非常い高い水準で両立してしまっているのだ。


 さらに、任天堂の次世代DSは3Dで行きますよと今のうちにアピールしたことによって、皆の注目は完全に3Dに注がれるだろう。そうすることで、3Dという目玉が、その他の秘密のネタ、隠し弾への迷彩として機能することにもなるのである。他社からの模倣への対処として、新機種の発表には慎重に慎重を重ねる任天堂がこのタイミングで次世代DSの目玉を発表してきたことには、このような意図もあるのではないだろうか。第二第三のサプライズへの布石にもなるし。


 このネーミングを見て思い出したのは、ほぼ日で、岩田社長が語っていた、宮本茂による次の言葉である。


 「アイデアというのは複数の問題を一気に解決するものである」
 

 ニンテンドー3DSというネーミングは、この宮本茂から発せられた、最早任天堂の根幹を為す哲学とも言える言葉をそのまま実行したネーミングではないかと僕は考える。そうすることで、iphoneだのipad、下手すりゃkindleすら競合相手と見られかねないどうにもかまびすしい携帯ゲームシーンの昨今において、任天堂は相変わらず任天堂のやり方でいかせてもらいますよってことをこれ以上ないやり方でサクッと表明したのではないだろうか。