敵を無視する、蹂躙する自由

 初代スーパーマリオブラザーズが、その他シリーズタイトルと比較しても傑出しているのは、敵を一体たりとも倒す必要性が無いところだと思う。


 ボスキャラのクッパですら、倒すことが目的というよりも、目的地に到達した結果として倒しているにすぎない。


 このような潔いまでの割り切ったデザインは、頑張ってゲームを作ろうとすればするほどに実現することが困難になる。


 ゲーム作りを頑張れば頑張るほどに、敵キャラクターの登場シーンがコッテリとしたムービーでながされたり、派手な攻撃を繰り出すようになれば、それに対してプレイヤーは受けに回る時間が多くなってしまう。冗長な演出を嫌うマリオシリーズですら、その呪縛からは完全には逃れられてはいない。


 そんな中で、初代マリオに匹敵する徹底したプレイヤー主導型のゲームデザインを実現したゲームが初代バイオハザードではないかと自分は思っている。


 バイオハザードシリーズは、どちらかと屋敷の謎を解きながら進む感じがゼルダの伝説に近いと捉える人も多いかもしれない。僕自身その考えには同意するのだけれど、初代バイオハザードは、ホラーゲームという新しいジャンルを創出することで、根源的には初代マリオに近いゲーム性を実現した希有なタイトルだと僕は考えている。


 このゲームでプレイヤーは、敵キャラクターを基本的にはスルーして進むことが出来る。でも要所要所で現れるボスキャラはさすがに倒さなければならないのだけど、これら敵キャラをプレイヤーはちょっとゲームになれてしまえば、大火力で瞬殺することが出来る。


 この慣れれば大火力で瞬殺できるってところが重要で、慣れれば瞬殺可能なアクションゲームって実はかなり数が少ない。なぜならゲーム作ってる人って
普通の人よりはゲームが上手くなってるし、ましてや自分の作ってるゲームなんかはどう頑張っても上級者くらいの腕前にはなっちゃうから、慣れれば瞬殺出来ちゃうゲームって、不安過ぎてリリース出来なくなっちゃうんですね。これじゃヌルゲーじゃねっていうか。


 初代スーパーマリオブラザーズがこの呪縛から逃れられたのは、まだまだゲーム黎明期でコッテリとしたボス戦でなくてもそれはそれで良かったってのが大きいだろうし、初代バイオハザードがこの呪縛から逃れられたのは、アクションゲームでなくてホラーゲームだからってのがあると思う。アクションゲームとしてはヌルい部分があっても、これはあくまでホラーゲームだから、最初にビックリしてもらうことが重要なんですっていう。


 しかし、結果的にマリオもバイオも、徹底的にプレイヤーに主導権を委ねるゲームにすることで、クリアするまでのタイムを競うレースゲーム的なゲーム性を獲得し、凡百のアクションゲームよりもアクションゲームとしての純度がより高まったゲームに仕上がってしまっているのは皮肉なことだ。