なぜワンピースは面白いのか

尾田栄一郎『ONE PIECE』 - 紙屋研究所

 この記事を読んでなんとなく思ったことをつらつら書く。

 ワンピースには二度のピークがある、一つはアラバスタ編で二つ目は白ひげ海賊団VS海軍本部編だ。

 
 初期ワンピースの面白さは色々あるが、自分としては「溜め」と「開放」描く作画の力が大きいと思っていた。「溜め」と「開放」とはいしかわじゅん大友克洋漫画の「動き」の表現を褒める時に指摘するアレね。


 この辺のところを初期ワンピースは律儀なくらいきっちりやってた。そして「溜め」と「開放」の作画がピークに達したのはアラバスタ編のゾロによる一刀流獅子歌歌を放つ場面とルフィがクロコダイルに放つゴムゴムのストームを繰り出す場面だ。ストームなんかは完全に溜めと開放があるしそれが極まっちゃってる感じするでしょ。


 でもこの「溜め」と「開放」の作画の欠点は技を繰り出すのに確実に二コマかかっちゃうところで、テンポがどうしても悪くなんのよね。実際アラバスタ編はテンポはあまり良くない。だから作者はこの作画を次第に捨て始める。


 アラバスタ編は「溜め」と「開放」の作画の極致であるのと同時に「集団戦闘描写」の始まりでもあった。これ以降ワンピースは集団戦闘ばかりを描くようになる。


 個人的にワンピース、ってか作者の尾田栄一郎が偉いなと思うのは、ある程度のトーンダウンを覚悟の上で空島とかウォーターセブン編で集団戦闘を描写する能力を「鍛えた」ことだ。この時期があるからこそ二度目のピーク、白ひげ編が迎えられた。


 漫画というメディアは作者が成長するメディアだと思っている。特に少年漫画においてその特徴は顕著だ。


 あと話がガラッと変わるけど、ワンピースって精神の昂りと戦闘能力の上昇がまるで一致しないのね。少年漫画では珍しい部類に入るよ確実に。


 ワンピースってルフィがどんどん負けまくる漫画になってるんだけど、それは単純にルフィが相手よりも弱いから。精神的には昂りまくってるし、負けられない理由もあるけど、それでも負ける、まあ負ける。


 そもそも物理攻撃の通じないスモーカーには初対面時にサクッとやられてるし、海軍本部でまたあった時もやられかけてた。


 クロコダイルにも最初はボコボコ、んで次にようやく戦えるようになったのは精神力で強くなったとか努力して強くなったのでもなく相手の弱点を知ったから戦えるようになった、ただそれだけの理由でしかない。逆に考えれば弱点さえわかってしまえば互角以上に戦えるくらい最初からルフィが強いということでもある。


 ロブルッチ戦で最初に負けて次勝ったのは、ギアセカンドとかサードを使用したかどうかの違いだし、オーズ戦は影の力を借りたり、仲間と協力して戦ったりしてる。


 どう考えても実力差がある相手にただたんに精神力の昂りのみで勝ったことってワンピースではほぼ無いんだよ。ウソップが魚人海賊団の幹部の一人を倒した時くらい?あれはあれでウソップ頭脳的に戦ったしね。


 精神力と戦闘力の結びつきを感じる能力に「覇気」ってのがあってあれはいまだに全貌が明らかじゃないけど、ルフィは結局それを使いこなせない。なぜなら現在のルフィにはそれを扱う技術が無いからだ。


 僕が考えるにワンピースは精神論によって突き動かされる漫画ではない。どれだけ精神が昂ろうと気持ちが猛ろうとも、力とそれを制御する技術がないとまるで無意味ってことを残酷に提示する漫画だ。チョッパーが一番大事な人に純粋な優しさから毒きのこをふるまってしまうシーンにそれは示されていたじゃないか!空虚な精神論?どこをどう読めばそうなる??


 なんかツイッターのつぶやき連投みたいな記事になったけど、今日はこの辺でやめよう。気が向いたら今日のつぶやきをもうちょっと詳細に論じていこうと思う。


 ってなわけでサッカー観よ。