虚構と現実が交差する瞬間 〜トイストーリー3レビュー〜

 以下の記事にはトイストーリー3のネタバレが全開なので映画観てから読むのを推奨します。


 川崎IMAXにて鑑賞。


 この映画は冒頭、血沸き肉踊るアクションシーンから始動する。そして、その非常に水準の高いアクションシーンによって、手際よく主要なキャラクターの説明をしつつ、シリーズ通して観ている人には愛すべきキャラクター達との再会をさせながら、あくまでこのシーンは、単なる子供の妄想の産物に過ぎないことを告げる。どれほど派手な絵作りをしたところで、結局は人間の想像力に勝るものは無いとでも言うかのように。


 トイストーリーシリーズは、一貫しておもちゃにとっての幸せと、それと表裏一体の恐怖を描いて来たシリーズだった。


 おもちゃにとっての幸せとは持ち主に心から愛してもらい遊んでもらうことであり、おもちゃにとっての恐怖とは持ち主に心ない扱いをされ、飽きられ、捨てられてしまうことである。


 そして、そんな彼らは基本的に年を取らない。今作にてすっかり年老いた老犬となった姿で登場するバスターとの対比からもそれは明らかだ。彼らは時間とともに経験を重ねることはあっても、年を重ねることで自然に死を迎えるということがない。


 彼らにとって博物館に寄贈され、大事に保管されることで半永久的に生き続けられるという選択肢は決して悪いことでは無いのかもしれない。しかし、それは前作、トイストーリー2にて否定した道だ。彼らは常に子供のそばに居続けることを選んだ。そんな彼らに待っている現実とはなんだろう。無限の彼方には何があるのだろう。


 おそらくシリーズの完結編になるであろう今作は、おもちゃにとっての幸せの時期を過ぎ、おもちゃが最後を迎えるとはどのようなことなのかという、彼らにとっての死の匂いが充満した一作となっている。

 
 トイストーリー3には、ゴミ捨て場、ゴミ収集車、壊れ、傷つき、汚れて行く玩具等、ゴミというモチーフが至るところに登場してくる。そしてクライマックスの舞台は全てのゴミが集結し、処分されるゴミ処分場なのである。


 どれほど愛されようとも子供は何時か大人になって、おもちゃで遊ばなくなるし、遊び続けられたおもちゃは何時かは汚れ、壊れる。おもちゃ達にとっての死とはゴミになるということなのだ。彼らが自然に死を迎えることが出来ない以上、最後に行き着くべきはそこしか無い。


 本作で圧巻なのは、その逃れようのない現実を前にしてのおもちゃ達の態度だろう。正直子供はこのシーン見てトラウマにならんのかな?冒頭の子供の妄想が弾けた圧倒的に楽しいシーンとは対称的な絶望的に押し寄せる現実、おもちゃという消費物であることを受け入れた崇高さすら漂うあのシーンを見せつけられて、我々は今まで通りおもちゃで遊び、飽きたら捨てるって行為を続けることが出来るんだろうか?


 しかし、この映画はそこでは終わらない。最後の最後の別れのシーン。アンディが放つ台詞によって、単なるおもちゃに過ぎなかったウッディと、キャラクターとしてのウッディが完全に重なるのである。今作の冒頭で上映される短編「デイ&ナイト」の夕日のシーンのように。


 アンディにとってのウッディとはあくまでぬいぐるみのおもちゃである。でも映画を通して我々が見て来たのは、活き活きと躍動し、言葉を放つ、生命を持つものとしてのウッディである。アンディが見てきたウッディと我々が見て来たウッディは全く別物だった筈だし、アンディはアンディが見ていないところでどれだけウッディが仲間思いで勇敢な奴であるかを知らない筈だった。トイストーリーシリーズとはそのような我々の知らない夢の世界をちょっとだけ覗き見させてくれる映画であった。


 それが別れの瞬間にアンディにとってのウッディと我々が観て来たウッディが全く同じ存在であったことが判明する。アンディがそのようにウッディを愛したからウッディはそうなったのか、ウッディがそのように愛さずにはいられないおもちゃだったからこそそうなったのか、解釈はいくらでもあるだろう。このシーンによって、トイストーリーシリーズを通して描かれ続けてきた虚構と現実の重層的な構造が一つになる。このシリーズだからこそ到達できた高みだし、ピクサーという現実をそのまま再現することも可能な3DCGという絵筆を選択しつつ、あくまで虚構の世界のお話を物語り続けることを選択して来たスタジオだからこそ辿り着けた境地がここにはある。


 最後に、自分はこのシリーズは基本的に吹き替えで鑑賞しているが、ウッディの声をあてる唐沢寿明の声の演技はシリーズ通して本当に素晴らしかった。あたまでっかちなぬいぐるみの佇まいそのままにどこかふにゃふにゃしてて頼り無さげなのに、どこまでも仲間思いで決めるところで決めるウッディのキャラクターをこれ以上なく演じきれていたと思う(ちなみに、所バズも決して嫌いではない)。


 というわけで、今まさにおもちゃに夢中な子供たちに、かつておもちゃに夢中だった大人たちに、ついでに未だにおもちゃに夢中な俺みたいな大人達にオススメです。