ポケットモンスターは「行きて帰りし物語」である

 ポケットモンスター、その中でも今回は初代にあたるポケットモンスター赤緑の物語構造について考えてみたいと思う。


 前々回のこのブログの記事で、ドラゴンクエストが如何にマップデザインのみで物語を形作るのかということを解説したが、ポケットモンスターもまた、ドラゴンクエストとは違った形でマップデザインによって物語を形成していると僕は考えている。まずはポケットモンスター赤緑のマップ画像を見てもらいたい。



 はい、言わずと知れたカントーマップですね。このマップは、スタート地点のマサラタウンから始まり、最後に訪れるであろうグレンタウンからまたマサラタウンへとマップを一周して戻ってこれるようになっているという、円の構造になっている。


 一度冒険に出た主人公が、世界の果てとかここではないどこか別の世界へと突き抜けてしまったりせずに、必ず自分の変えるべき場所へと戻るようにマップが設計され、そこからまた冒険が始まるようになっていること、それこそがポケットモンスターの物語上の特徴なのである。


 もう結論を言ってしまうと、ポケットモンスター赤緑はゲームというメディアで「行きて帰りし物語」という物語構造を構築したゲームなのである。チャンピオンロードが姿自体は物語冒頭から見えているのに、物語の終盤まで姿を表さないのも、一番最初に登場するジム、トキワジムのジムリーダーが、最後まで姿を表さないのも、主人公に色んなところへ一度行って、戻ってもらうために意図的に配置しているのだ。一番最初の街、マサラタウンに主人公の自宅とオーキド博士の研究所以外、店舗やポケモンセンターのような冒険の過程で必要な機能を排して、あくまで主人公が冒険から出発して、帰ってくる街としてデザインされていることにも注目して頂きたい。


 では、「行きて帰りし物語」とはなにか。


 「行きて帰りし物語」の詳細が知りたい人は以下の書籍を直接読んでもらうのが、一番良いです。まあ読んで下さい。


 それだけで済ませてしまうのもアレなんで、雑に説明しちゃうと、普段の日常的な場所にいる主人公が、冒険への好奇心、日常への不満などから、非日常的な体験が待ってそうなここではないどこかへと「行って」そこで得た新しい経験を携え元の場所へと「帰る」そうすることで、元々居た場所が、新鮮なものに刷新される。ってのが「行きて帰りし物語」の基本的な構造です。「指輪物語」の前日譚にあたる「ホビットの冒険」なんかが、代表的な作品ですね。あんまり雑な説明だからここだけ文体違うけどまあ許して。


 そんなこんなでポケットモンスター赤緑は、マップデザイン(広い意味でのレベルデザイン)の段階で「行きて帰りし物語」という構造を持った物語を形成してますよという話なんだけど、これだけだとなんか腑に落ちないという人も多いかもしれない。マップが円の構造になってるのなんて偶然じゃないのと、単なるこじつけじゃないのと。そんな人達には、ポケットモンスター赤緑の出発点、主人公の自宅のテレビで流れているものが何だったのかを思い出してもらいたい。


 そう、あの主人公の自宅のテレビでは、固有名こそ出してはいないけど、明らかに映画、「スタンドバイミー」が流れていた。ポケットモンスター赤緑は、「スタンドバイミー」へのオマージュを捧げている作品なのである。

スタンドバイミーへのオマージュ作品としてのポケットモンスター赤緑

 スタンドバイミーのストーリーを思い出していただきたい、あの映画は、少年達が線路を歩いて死体があるという場所へと「行って」、そして自分の元いた場所へと「帰ってくる」という「行きて帰りし物語」に極めて忠実な、というか「行きて帰りし物語」の骨格のみで構成されてるような物語ではなかったか。ご丁寧にも帰って来た時に、「見慣れた町が見違えて見えた」なんてナレーションが挟まったりもする。


 ポケットモンスターがスタンドバイミーへのオマージュ作品として存在する以上、「行きて帰りし物語」という物語構造を採用するのもまた必然なのだ。あの冒頭のテレビに流れている映像は単なる小ネタに留まらない、ゲーム全体を象徴する1シーンなのである。


 スタンドバイミーの少年達は冒険の末、死体と出会うが、ポケットモンスターの主人公達は、冒険の中盤、シオンタウンにてゲームシステム上はダメージを負うことはあっても決して死なないポケットモンスターの死に触れることになる。当時のゲームの容量制限がかなり厳しかった時代なのにもかかわらず、シオンタウンにはその街専用の音楽が流れていることなどからも、制作者がこの街の存在をかなり重要なものと捉えていることが伺えるのではないだろうか。


 ポケットモンスターというゲームは、日本で空前のブームを起こし、世界でも大ヒットを記録したタイトルだ。なぜ世界的にこのタイトルが受け入れられたかについては、既に様々な人によって様々な角度から語られている。通信ケーブルを「モンスターの交換」に使用するというゲームとしての画期性、コロコロコミックとのタイアップ、早い段階でのアニメ化、ピカチュウというスターキャラクターの登場などなど、それらの要素はヒットする上で確かに重要な要素だったと思うし、特にポケモンのゲームシステム部分については、また項を改めて書きたいこともあるのだが(まあそれはまた長くなるんで別の機会に)、自分はそれらの要因の一つに、古典的かつシンプルで強力な物語構造をゲーム中に有しているということを挙げておきたいと思う。


 ポケットモンスターは、マップデザインと最小限のイベントのみで、「行きて帰りし物語」という物語構造を、ゲーム内に構築している。このゲームは、プレイヤーが、ゲーム中のキャラクターをゲーム進行に沿って主人公キャラクターを移動させているだけで、知らず知らずの内にそれとはなく物語を体験することが出来るようになっている。ドラゴンクエストに勝るとも劣らない形で、純ゲーム的なストーリーテリングの在り方を、ポケットモンスターは提示しているのだ。