1996年のスーパーマリオ
- 出版社/メーカー: 任天堂
- 発売日: 1996/06/23
- メディア: Video Game
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1996年に発売された『スーパーマリオマリオ64』はゲーム史に残る傑作であるのと同時にスーパーマリオというゲームの本質に大きなブレが生じたタイトルでもあった。
1985年に発売された『スーパーマリオブラザーズ』は、マリオがひたすら右へ右へと進めばゲームをクリアすることが出来るゲームだった。
このゲームが今日においても驚異的なのは、「右へ進む」以外の義務をゲーム中にほぼ発生させていないところと、ゲーム開始の時点で主人公のマリオにゲームクリアに必要な能力を全て備えさせているところだ。
『スーパーマリオブラザーズ』というタイトルが示しているようにこのゲームにおける最大の特徴はマリオがスーパーキノコを取ることで、スーパーマリオへとパワーアップすることであることは間違いない。だが、『スーパーマリオブラザーズ』というゲームはパワーアップをクリアに必須の要素にしていない。ここにこのタイトルの最大の自由がある。
しかし、1996年に発売された『スーパーマリオ64』では空間の広がりの代償として、右へ右へと進んで行けば良かった単純明快さがまず失われる。360度あらゆる方向へと移動できる自由の代わりに、常に自分の目的地がどこにあるかを「探す」義務を課せられたとも言えるだろう。
身体的な面においても、『スーパーマリオマリオ64』では、メタルマリオ等のパワーアップをしなければクリア出来ない障害が発生し始める。この時マリオの身体が持っていた筈の全能感もまた決定的に失われることになる。んーでももしかしたらメタルマリオ抜きでもトータルのゲームクリアは出来たりすんのかな?その辺は検証してないからちょっと曖昧。マリオワールドとかガンガン左にも進んでたしね。
3Dマリオの歴史はこの『スーパーマリオ64』で失われたマリオの全能感をとりもどすための歩みであっても過言ではない。繰り返しになるが、『スーパーマリオ64』は間違いなくゲーム史に残る傑作である。その傑作が孕む問題にいち早く気付き、それに対する解答を提示しようとしたことこそが、任天堂を今日に至るまで世界最高峰のゲーム制作集団たらしめている。その成果は1999年に発売されたこれまたゲーム史に残る大傑作『ゼルダの伝説 時のオカリナ』に表れている。
1998年のゼルダの伝説
- 出版社/メーカー: 任天堂
- 発売日: 1998/11/21
- メディア: Video Game
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冗談とか誇張とか抜きで世界で最も評価が高いゲーム。それが1998年11月21日に発売された『ゼルダの伝説 時のオカリナ』である。
なぜこのゲームがここまで高い評価を得るに至ったのかといえば、3Dがゲームにもたらす良い影響を受けやすい方向性のゲームであったことと同時に、3Dがゲームにもたらす悪影響を回避するための策が幾つも打たれていたからである。
3D化によって対象との距離が取り辛いという問題に対するZ注目、複雑な地形から要求されるアクションの水準を大幅に下げ、ユーザーの負担を軽くするオートジャンプ、Zボタンによるカメラ位置のリセット、弓やパチンコ等を撃つ際の視点の切り替えなど、『スーパーマリオ64』からたったの数年で、よくぞここまで3D問題に対する的確な解答を出してきたなというものばかりだ。
『スーパーマリオ64』においては、3D化は本来マリオが持っていた筈の単純明快さを失わせる要素でもあったが、『ゼルダの伝説 時のオカリナ』においての3Dという要素は恩恵も多かった。
2Dの『スーパーマリオブラザーズ』が、ひたすら右へ右へと進むことで自ずとゴールへたどり着く「到達型」のゲームであるのに対して、『ゼルダの伝説』は絶えずプレイヤーに謎や障害を克服するための鍵の探索を要求する「探索型」のゲームであるからだ。3D空間は「探索型」のゲームにとっては格好の探索フィールドになる。
こうして、3Dによって受けられる恩恵と、付随する問題点に対する対策を的確に打ったことで『ゼルダの伝説 時のオカリナ』は歴史に残る大傑作になった。
任天堂はゲームの3D化という転換点に対して、「探索型」のゲームに対しては有効な手を打つことが出来た。しかし、「到達型」のゲームに対しては、マリオカートシリーズのような「到達型」に振り切った内容のゲームでは成功しているものの、キャラクターを自由自在に操るタイプのゲームにおいては、決定的なブレイクスルーは果たせていなかった。結局3Dよりも2Dの方が売れてしまうマリオシリーズを見てもそれは顕著だったように思える。
そんな状況で2014年のE3に突如として任天堂から発表されたのが『スプラトゥーン』である。
2015年のスプラトゥーン
- 出版社/メーカー: 任天堂
- 発売日: 2015/05/28
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スプラトゥーンが発表された日のことは今でも鮮明に覚えている。
マリオメーカー、オープンワールド化したゼルダの伝説の新作など、ファンなら絶対注目するだろうタイトルが発表されながら、完全に話題をかっさらって行ったのは、完全新作の『スプラトゥーン』だった。
今思えば、『スプラトゥーン』の面白さはこの時点でほぼ予測出来ていた。唯一予想外だったのは、予測した以上に面白かったことくらいだ。自分以外にも発表の時点で騒いでいた人は多数いたが、それらの人達も最初の発表の時点で面白さは予測出来ていたんじゃないかと思う。FPSを知らないユーザーが騒いでるみたいな意見もあったけど、逆だ。それなりにゲーム知ってるからこそ『スプラトゥーン』が面白いゲームであることは一目瞭然だった。
映像の時点で、ユーザーが面白さに「到達」出来ていたこと、このことこそが、『スプラトゥーン』が「到達型」ゲームの傑作であることの何よりの証明だろう。それくらい『スプラトゥーン』はゲーム中のキャラクターの行動の一つ一つに意味と多面的な機能があり、行動によって達成される成果が発表した時から明確に見えているゲームだった。
何より優れていたのはやはり「塗る」というアクションだろう。これによって、『スプラトゥーン』は考えてから行動するゲームではなく、行動してから考えるゲームになった。何はともあれとりあえず塗っとけ、という行動が先に立つことで、初めてプレイするプレイヤーがゲームにハマるまでに大きな障壁となる「迷い」を取り去った。
最初は地面の色を塗った面積で競う「ナワバリバトル」のみに対戦モードを絞り、後から追加されたガチマッチがガチエリア、ガチヤグラ、ガチホコ、と次第にプレイヤーが「探す」必要が増すようになっているのもまた、開発側が意図的にプレイヤーに課す探査量を減らしている証左だと言えるだろう。
当然、『スプラトゥーン』は何も考えずにプレイしても勝てるような底の浅いゲームではないし、プレイヤーによっては、敢えて塗りを抑えるプレイというものアリなんだろう。だが、重要なのは、多くのユーザーにまずはゲームの面白さに「到達」してもらえるかどうかということなんじゃないかと思う。「到達型」と自分が定義する『スーパーマリオブラザーズ』があれほど世界的に大ヒットし、「探索型」と定義する『ゼルダの伝説』が評価ではマリオ以上の評価を得ながら、売り上げ面では及ばない最大の理由はおそらくそこにある。
行動の結果が常にダイレクトな形で目標へ「到達」し、その後の行動を誘発するゲーム、『スプラトゥーン』が発売された2015年は任天堂にとって、非常に特別な年になったのではないかと思う。岩田社長が亡くなるという悲しい、本当に悲しい出来事があった年でもあったが、20年近い探索の果てに、3Dゲームの一つの高みに「到達」したメモリアルな年として記憶していきたいと思う。
- 作者: 宇野維正
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2016/01/15
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任天堂失敗列伝〜第四回〜「マリオ64の巻」 - 枯れた知識の水平思考