レベルデザイン考、およびレベルデザイナーとしての堀井雄二について

 レベルデザインというのものについての考えを書く。


 色々考えたのだけど、結局レベルデザインというのは、「ゲームフィールドの機能面のデザインをすること」という定義に自分の中では落ち着いた。


 グラフィックデザイナーはゲームフィールドのヴィジュアル面をデザインし、レベルデザイナーはゲームフィールドの機能をデザインする。


 機能をデザインするとはどういうことか?


 机を例にして考えてみよう。グラフィックデザイナーは机の見た目をデザインする。色な何色がいいのか?装飾はどんなものがいいのか?全体のシルエットはどうする?などなど。そしてレベルデザイナーは机の機能性、要はひきだしを何個つけるのか?とかひきだしの大きさはどうする?とか机の作業面積はどれくらいが適当か?などをデザインするのである。


 なぜ、FPSやTPSというジャンルではレベルデザインという要素がかつてなくクローズアップされたのだろうか?


 それはFPSやTPSというジャンルがフィールドの機能性抜きにはゲームとして成立しないジャンルだからである。


 基本的に銃で戦うこれらのジャンルでは、離れた位置から即座に自分の身体に到達する銃弾から身を守ってくれるための「遮蔽物」の存在が非常に重要になってくる。というか遮蔽が全く存在しない更地のフィールドではろくなゲーム体験は生み出せないだろう。


 逆に日本であまりレベルデザインという言葉が根付かなかったのは、ゲームが3次元になって最も隆盛したジャンルが対戦格闘ゲームだったからじゃないかと思っている。基本的に近くで殴り合う対戦格闘ゲームは、障害物が全く無い更地でも全然問題なくゲームが成立するし、むしろそれくらいシンプルなのが最も戦いやすくてベストな地形であることも少なくない。一部格闘ゲームではリングアウトが存在したり壁においこんでコンボを決めたりと、地形の要素が全く絡まないわけでもないのだけれど、FPSにおける地形の重要性というか命綱っぷりと比較したら、補助的な要素と言ってしまって良いと思う(影丸使いとかに怒られそうだけどまあいいや)。


 海外においてレベルデザイナーという職種が生まれた背景には、作業の分業化ってのがあると思う。機能と見た目を同時に出来る作業員を育成するよりも、見た目専門のデザイナーと機能専門のデザイナーを育成したほうが、効率良さそうだし、例え開発体制が大規模化したとしてもそれに耐えうる市場の大きさだってある(最近はかなり厳しそうですが)。


 でも日本では安易な分業化への道をすすんでいいのかって気はするんだな。あんまりそういうのって向いてなさそうっていうかさ。まあこの辺非常に感覚的な話になっちゃいますけどね。さっきの机の例でいうと、機能と見た目って全く別々に存在するわけでも無いんで、出来れば一人のデザイナーが機能も見た目も両方デザインする方が、高いレベルのものが出来易いだろうと思うんだ。更に、日本の開発体制は海外ほど大規模化してもいないだろうし人材の流動性だって海外ほどではないから、下手に分業化して、レベルデザイン専門の人なんかを育成しちゃうと、すごい潰しの効かない人材になる可能性が無くもないんだよね。だから、安易に海外ではレベルデザインに注力してますから、こっちも真似しましょうみたいなことやるのは自殺行為になりかねないと思っている。真似してもいいけど、あくまで慎重にねっていうか。


 だから僕はまず、レベルデザインという言葉の定義から自分なりに考える。海外ではレベルデザインとは、面をデザインすることですなんて言われてもそんなのは知らない。それはそっちの都合であってこっちの都合ではない。んで、そんなこんなで冒頭のレベルデザインとは、ゲームフィールドの機能面をデザインすることであるという定義に戻る。フィールドの機能をデザインするということはどういうことなのかと。


 そこで思いだすのは、ドラゴンクエスト1の「りゅうおうのしろ」のことである。ラダトームの城から出てすぐに見えるあの城。ゲームの最終目的地でありながら物語の冒頭でその姿をあらわにするあの建物である。あれが物語の冒頭に見えることで、我々プレイヤーは冒険への意欲がかき立てられる。もしかしたら今すぐいけるんじゃ?とか思って行けるルートを探ってしまう。でも結局は遠回りして辿りつく他無いと悟り、正攻法の冒険のルートを歩まざるを得なくなる。


 物語冒頭からプレイヤーの眼前に存在する「りゅうおうのしろ」はドラゴンクエスト1における物語上の伏線として機能していた。ただフィールドをデザインするだけで、物語に最高の伏線を張ってしまう堀井雄二こそ、レベルデザイナーという言葉が存在する以前からの、レベルデザイナーであったのではないか。それも相当高い次元でのデザインを行う手練中の手練である。


 もしドラゴンクエストをやってないという人も既にやったという人も、出来ればフィールドやダンジョンのデザインにも注目しながらプレイしてみると、色々な発見があると思う。特にゲーム業界を志す若者達は、ゲームを純粋に楽しむだけではなく、制作者の工夫を読み取ろうとしながらプレイする癖をつけると、後々それが自分の力になると思うんだ。たとえ堀井雄二という存在を知らなかったとしても、ドラゴンクエストっていうヒットタイトルに仕込まれている、作り手が仕込んだ意図には気付いてほしいんだ。それはゲームを作る人にとって本当に貴重な「基礎」を養うことに繋がると思うから。


 というわけで、今回の記事は実は次回への布石です。次は多分堀井雄二を知らない人に向けての堀井雄二紹介記事(かなり長文)になります。乞うご期待!。