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捨てない任天堂、捨てられる任天堂

任天堂という会社は捨てる会社なのだろうか?捨てることで新たに脱皮してきた会社なのだろうか?確かにそういう部分はあるのだが、同時に任天堂は捨てない会社でもあるのだ。今回は任天堂の捨てなさぶりにスポットを当てて語ってみよう。

そもそも任天堂はキャラクターに関しては全く捨てない、マリオ、ドンキー、リンク、カービィ、等々本当に捨てない。


黒澤明が盟友三船敏郎との関係を断って次に進んだことや、宮崎駿が今更トトロやルパンの新作に取り組むなんてまず考えられないのとは対照的と言っていい。


ディズニーですらミッキーを主役に据えた映画を近年全く撮っていない、テーマパークのシンボルというある種の上がりを迎えたキャラクターであるのに対して、マリオは未だに最前線で活躍しているのだ。このことの異常さ、任天堂の捨てなさぶりは、もっと注目されていい。


しかし、そんな任天堂にはキャラクターを大事にするが故に「子供向け」というイメージが常につきまとう。ちょっと大きくなった子供達には任天堂のゲームは子供っぽく、卒業する対照として見られてしまう。


つまり、任天堂は「捨てる」企業なのではなく、一度はユーザーに「捨てられる」企業なのだ。


しかし、任天堂はそこで「子供向け」というイメージを捨てようとはしない。マリオやカービィというキャラクターを捨てたりはしない。むしろ頑なに守ろうとする。


だから任天堂は子供が成長し、大人になり、新たな子供が生まれた家庭に再び「拾われる」ことになるのだ。


近年の任天堂の躍進を支えるのは脳トレWiiFitなどの新規タイトルのヒットが大きいのは確かだが、マリオパーティマリオカートなどの世代を超えて楽しめるパーティゲームが脇をがっちり固めているのも見逃してはいけない事実なのである。


大多数のゲームメーカーは成長するユーザーに合わせてゲームの内容を変化させてきた。そのためユーザーがゲームそのものから卒業してしまった時に打つ手を持たなかった。しかし、任天堂は常に新しく生まれてくる子供を対象にしていたので過去のユーザーに捨てられても動じなかった。任天堂という会社の底力はそういう常にまっさらな「子供」という非常に厳しいユーザーに拾ってもらえるように努力してきた姿勢にこそあるのだと思うのだ。