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サマーウォーズの決め台詞が「よろしくおねがいしまーす」である理由 

映画

以下の文章はサマーウォーズのネタバレをガンガンにしています。気をつけてね。

 サマーウォーズという映画がちょっと変わっているのは、クライマックスが二回あるところで、本当ならあの花札のシーンで世界は危機を回避できたんだから、そこで終わってもいい筈なのだ。でも、あの映画はそこで終わらず、もう一度、家族の危機というクライマックスを迎えることになる。そうなのだ、二回目のクライマックスは、一回目のクライマックスに比べてスケールダウンしているのである。普通逆じゃない?なんでサマーウォーズという映画は、最後のクライマックスシーンをわざわざスケールダウンしたクライマックスシーンにしたのだろう?


 それは、一回目のクライマックスシーン、花札勝負に世界中のアバターが集結し、ラブマシーンを倒すシーンでは描ききれていない部分があったからだろう。確かに、世界中のアバターが集結し、ドラゴンボール元気玉のように世界中の力があつまり、皆の想いが一つになるあのシーンは感動的だ。しかし、あのシーンは、逆に主人公健二の役割を極めて希薄にもしているのだ。なんせ一億五千万のアバターのうちの一人でしかないわけですからね。一方ヒロインの夏希先輩は、一族の代表から人類の代表とも言えるシンボル的な存在になっているのに、健二は花札の腕前も素人レベルだし、あくまで、サポート的な役回りしかこなせていない。サマーウォーズという映画はこの一回目のクライマックスの後にもう一度クライマックスを用意することで、一つになった人類をもう一度バラバラに分解し、改めて個人個人にスポットを当てようとしたのではないだろうか?


 ではなんで二回目のクライマックスシーンで健二は最後に「よろしくおねがいしまーす」と叫ぶのだろう?ちょっとおかしくないこの台詞?ふつう最後は「いっけー」とか「うおー」とかそれっぽい台詞を叫ぶそうなもんじゃないですか。実際一回目のクライマックスシーンの決めのシーンは「いっけー」って言ってるしね。でもそんなお決まりの台詞を言わず、「よろしくお願いしまーす」と健二は鼻血を垂らしながら叫ぶことになる、なぜか?それは、サマーウォーズという映画は、大家族にひょっこり侵入した赤の他人である主人公健二が、最後の最後で、大家族の仲間入りすることをついに決意する映画だからだと僕は思う。


 そもそもサマーウォーズという映画は大家族の良さを描くと同時に、そこにひょっこりいる異物としての主人公の居心地の悪さを執拗に描いてもいる映画でもある。嘘をついてヒロインの彼氏として、大家族の食卓に参加し、下ネタトークを振られたり、一家の問題児の詫助との揉め事を見せられたりと、正直自分だったら即座に帰りたくなるシーンが次から次へと続く。極めつけは、せっかく栄おばあちゃんと花札勝負を通して、夏希を託され、家族の一員として認められたかとおもったら、次の日の朝におばあちゃんが亡くなってしまうシーンだろう。赤の他人として大家族の長の死に際に立ち会うって、尋常じゃない疎外感を健二は味わったんじゃないか。それに健二は、栄おばあちゃんにせっかく家族の一員として、夏希を託すという大事な役割を依頼されているのに、それに対して、まともな返事を出来ていないのだ。


 最後の最後で「よろしくおねがいしまーす」と健二が叫ぶのは、栄おばあちゃんへの返答だからだと僕は思う。最後の屋敷めがけて人工衛星が落っこちてくる場面は、普通に逃げても良かった筈なのだ。でも、最後の最後でラブマシーンの仕掛けた暗号を解くために健二は屋敷に留まる、なぜか?やっぱりそれは主人公の意地と誇りを回復するためだろう。栄おばあちゃんの願いに対する返答をするために主人公に必要なのは、自分の誇りを取り戻すことなのである。ちなみに、カズマ、詫助、健二というこの物語の主役級三人は、花札勝負ではろくに機能できていないのだけど、二回目のクライマックスではそれぞれにそれぞれの持ち味を見せて危機を回避することになる。この映画は二度のクライマックスを用意することで、世界の危機を回避してもまだ失われている個人の誇りや尊厳を改めて取り戻すことまで描いた映画なのだと僕は考える。