堀井雄二に学びたい

 もうとうに昔のことでほとんどの人は忘れてしまったかと思われますが、堀井雄二を知らない人のための堀井雄二入門をようやく書きます。まあ、堀井雄二っつうかドラゴンクエスト(以下ドラクエ)にまつわるアレコレについて自分なりの考えだったり、自分が刺激を受けた見解を紹介していくわけなんですけどね。結構長くなると思いますが、お付き合いの程を一つよろしく。

ゲームにおけるテキストライターとしての堀井雄二

 まずは、ゲームにおけるテキストライターとしての堀井雄二の仕事ぶりについて考えていこう。ゲーム作家としての堀井雄二が語られる際、もっとも語られることが多いのが、堀井雄二自身の手によるテキストである。事実、ネット上にも面白い評論、考察文が数多くある。まずはこのコラムを紹介しよう。


 ブーバ/キキ/ギラ/ホイミ 神は細部に宿り給う


 このコラムでは、ドラクエの代表的魔法、ホイミが回復魔法っぽくてギラが攻撃魔法っぽく聞こえてしまうってことを「ブーバ/キキ効果」を用いて解説している。面白いですね。

 
 ここに、言葉そのものの機能性を活用する、という堀井雄二のテキスト技術の一端が見られる。言葉そのものの機能性を活用するという例は以下のコラムでも指摘されている。


 「ゲームと言葉」


 この記事は、僕も愛読している野安の電子遊戯工房のゲームコラムなのだけど、ドラクエの各種ネーミングが如何に日本語独自のリズム、七五調を駆使して名付けられているかということを考察しており、今読んでもとても興味深い内容になっている。


 ついでに手前味噌だが、自分で書いた記事も紹介しておこう。


 ドラゴンクエストのモンスターの命名法について - 枯れた知識の水平思考


 これは、ドラクエの色違いモンスターの名称は、ひらがな名のモンスターとカタカナ名のモンスターが交互に登場する場合が多く、そしてカタカナ名のモンスターがひらがな名のモンスターよりも強い場合が多いってことについて実際に調べてみた上で考察してみた文章なのだけれど、これもまた、日本語そのものの機能性を活用することの一例として挙げることが出来ると思う。コメント欄で色々つっこまれてるようにFC初期のショボイ容量の問題とかもあるんだけどね。


 このように、堀井雄二による、ドラクエのテキストは、語感から受ける印象、文字数の区切りから生まれるリズム、ひらがなとカタカナの違いなど、日本語の特性を駆使し、活用することで構成されている。これらの技は、言葉の大本に根ざす技術であるため、そう簡単に古びない。ここが堀井雄二のテキスト技術の最大の美点であり強みだと僕は思う。

RPGの伝道者としての堀井雄二

 次に日本にRPGというゲームジャンルを広め、根付かせた伝道者としての堀井雄二について考えてみたい。
まずは、以下の記事を読んで欲しい。


CEDEC基調講演レポート 堀井雄二氏「ドラゴンクエストIX 星空の守り人」の秘密を語る 日経トレンディネット
4Gamer.net ― [CEDEC 2009]「ドラクエは国民的ゲームでもなんでもなかった」堀井雄二氏の基調講演を完全レポート!


 この記事は、CEDEC2009の堀井雄二ドラクエ9プロデューサー達との講演についての記事なのだが、堀井雄二ドラクエを如何にして作り、日本のRPGを根付かせようと試行錯誤したのかが、かなり具体的に本人の口から語られているので、この記事を参照しつつ、話を進めよう。

 
 上記の講演で、自分がもっとも感心したのは、RPGをいきなり遊ぶのは難しいので、まずはアドベンチャーゲームを作って、プレイヤーに文字主体のゲームに慣れてもらうようにしたという箇所である。これってつまりRPGチュートリアルとしてアドベンチャーゲームを作ってたってことなのではないか。現在ではチュートリアルモードがあるゲームなど珍しくもなくなったが、当時の作りっぱなし、投げっぱなしのゲームが大半の状況で、ここまでユーザーの方向を向きながら、かつ戦略的にソフトを制作していた人がどれほどいただろう?


 そして、この発言からわかるのは、堀井雄二RPGの自由度の高さこそが魅力である反面、ユーザーにとって高い障害となるという事実に誰よりも早く気付き、策を講じてたってことだ。海外のゲームは自由度が高い、日本のJRPGは一本道みたいなことが言われる二十年以上前に、自由度の魅力と危険性、一本道というよりも移動自体が無いADVの利便性に堀井雄二は気付いていたのである。


 堀井雄二という人は、面白さを作る仕組み、今っぽく言えば面白さを生成するアーキテクチャを、非常に冷静に観察し分析する目を持っている人なんだと思う。そんな人だったからこそ、日本にRPGを広め、根付かせることが出来たのではないか。


 ちなみに、ニンテンドウ64というハードで出た、マリオ64ゼルダの伝説時のオカリナというタイトルは、空間を自在に動き回れる自由度の高いタイトルが人気を博したものの、国内においては苦戦を強いられ、大ヒットしたDSやWiiを牽引した脳トレWiiFitっていうタイトルには、空間を移動するって要素そのものが無くなっているんですね。堀井雄二が危惧したプレイヤーに移動の自由を与えることによって起きる諸問題ってのは、現代においてもまだまだ考えるべき問題であり続けてるんです。まあこの辺については一昨年にくしだんご型レベルデザインがどうたらとか、色々このブログでも書いたりしましたし、マリオ64についてはこの記事書いた次の次くらいにこってり語る予定なので、また別の機会にってことで。

レベルデザイナーとしての堀井雄二

 次は、レベルデザイナーとしての堀井雄二についてである。堀井雄二レベルデザイン?そもそもレベルデザインってなんぞって人は以下の記事を読んで頂きたい。


レベルデザイン考、およびレベルデザイナーとしての堀井雄二について - 枯れた知識の水平思考


 あくまで個人的な考えだと断っておきますと、レベルデザインというのは、マップデザインと混同されがちだけど、まあ近い部分もあるし、それそのものだったりする場合もある。でも、僕としては、「フィールドの機能面をデザインする」という定義が一番しっくりきている。詳しくは上の記事読んでね。


 では堀井雄二がたんなるマップデザインをする人なのではなく、あくまでもフィールドの機能面をデザインする、レベルデザイナーであるという根拠はどこにあるのか?百聞は一見にしかずなので、まあ以下の画像を見てもらいたい。
 

http://image.blog.livedoor.jp/italia919/imgs/b/1/b188ed02.bmp


 これです!ここにレベルデザイナーとしての堀井雄二技法がすべて込められている。


 どういうことか?


 上の画像はドラクエやったことある人なら誰でも知ってるであろうラダトームの城から出たらいきなり竜王の城が見えるフィールドの画像である。フィールドに最初出た時点で、最後の目的地の場所が見えてしまうという、ゲームの歴史に残すべき、極めてゲーム的な、あまりにゲーム的な物語上の伏線がこれである。


 多くのフィールドを自由移動するタイプのゲームはプレイヤーに見える範囲、「視線」の管理と、行動出来る範囲、「導線」の管理という、二つの「線」の管理が必要になる。ちょっと話が逸れるけど、FPSとかTPSっていうジャンルは「視線」と「導線」の他にもう一つ、射撃のための線、「射線」の管理が必要になるんですね。んで、それらの3つの線を管理する為にレベルデザイナーを専業化してるわけ。


 話を戻すと、ゲームにおける「視線」と「導線」の管理は別のものである。いくら「視線」が開けてプレイヤーから見えていたからといって、プレイヤーキャラクターの「導線」が常にそこに到達できるわけではない、「視線」と「導線」の間には常に齟齬が生じている、というよりもその齟齬を埋めていくのがゲームプレイであると言っても良い。


 ドラゴンクエスト1の冒頭から見える竜王の城はその二つの「線」の違いを最大限活用することで繰り出せた大技である。プレイヤーの「視線」は、当然竜王の城に注がれるが、プレイヤーが操作するキャラクターの「導線」はどう頑張っても物語の最後の最後まで、そこへは到達できないようにゲームが構成されている。「視線」と「導線」を見事に管理し、フィールドの機能性だけで物語を作り出す堀井雄二は極めて水準の高いレベルデザイナーと呼ばれるべきだと思うし、プレイヤーをゲームに能動的に参加させる上で、ここまで模範的なレベルデザインはそうは無い。


 これらの「視線」と「導線」の間の齟齬、見えているのに、そう簡単に到達出来ない場所を設定し、ユーザーをゲームに引き込むという手法は、ドラクエ1以降も、ドラクエ2のザハンの町、ドラクエ3のナジミの塔などでも使用されている。もっともドラクエ1と同じように最終到達地点をそこにしてしまっては、物語の構造も同じになってしまうので、ドラクエ2では中盤の町、ドラクエ3では序盤も序盤のダンジョンという風に変化はしていたりはする。


 そして、やはり堀井雄二がさすがだなと思うのは、プレイヤーが到達できない、到達し辛い地点を意図的にフィールドに配置することで、物語に伏線を張り、ユーザーをゲームに引き込むというレベルデザイン手法を、3Dになってからも駆使したところにある。むしろ3Dになることで本格的にその技が開花したと言ってもいいとすら思う。ドラクエ8の物語冒頭から主人公一行は、いばらで覆われた明らかに何か忌まわしいことが起きてしまったトロデーン城を見ることが出来るが、到達することは物語の中盤以降にならないと出来ない。これもまたドラクエ1から続くレベルデザイン手法の応用と言えるだろう。


 それだけではなく、ドラクエ8の立体的なフィールドは、配置されているイベント要素こそ少ないが、3Dならではのアップダウンを駆使した、3Dのお手本とも呼べる工夫が至るところに施されている。小高い丘を越えると急に視界が開け海が見える、新しい町のさらに遠景に高い塔がそびえ立ち、これから起こる冒険を想起させるなど、まあお約束っちゃあお約束なんだけど、単純に見た目を優先するのではなく、あくまで、ユーザーが体験する物語を重視することで生まれた、骨太なフィールドがそこにはある。それは、プレイヤーキャラクターの「視線」と「導線」の管理という本質的なレベルデザインの仕事が行き届いているからこそ生まれたフィールドなのだ。


 ドラクエのフィールドが優れているのは、ここまで解説してきたように、なんとなく歩いているだけで、物語を感じられるフィールドになっているからだ。堀井雄二をテキストの人だとだけ考えているとその優れたレベルデザイナーとしての仕事を見逃してしまうのではないかと僕は思う。彼の本質はテキストだけでは無い。もっとゲーム全体にその工夫が見て取れるのである。ということで最後の項目に続く。

堀井雄二に学びたい

 そんなこんなで最後のまとめである。テキスト、RPGの伝道者、レベルデザイナーと3つの側面を語ってきたわけだけど、堀井雄二という作家の最大の特徴は自分なりに一言で言うとこうなる。


 無粋な説明を極力しない人


 これである。彼は本当にゲーム中で説明をしない。ドラクエ1の冒頭で、王様の部屋から主人公が出て行くまでに、コマンドの全てを駆使する必要があり、プレイヤーは知らず知らずの内にコマンドの全てを学習するという、今では語るまでも無いくらい有名になった鮮やかな導入部。あれが今になって振り返られ、その隠された意図に気付き、感心されるのは、あの導入部が如何にもチュートリアルでございますっていう佇まいをまるでしていなかったからなのである。あれがSFC時代のFFにあった初心者の館みたいな佇まいだったら今の評価は大分変わっていたと思う。ってか皆初心者の館って覚えてる?


 ドラクエはユーザーの導き方が丁寧で、だれでも簡単にプレイできるという間口の広さにおいて定評があるシリーズだが、ドラクエシリーズの丁寧さが他の多くのソフトと一線を画すのは、露骨なチュートリアルモードのようなものを設定せずに、極めて自然にシステムに精通し、物語に没入できるようになっているところにある。


 昨今のゲームはどれもユーザーに対して丁寧に接するようになった。しかし、その丁寧さは、多くの場合、過剰なまでの説明文を駆使することで構成された丁寧さだ。海外まで含めて大半のゲームは、唐突に無粋な説明文やチュートリアルモードをゲームの冒頭や途中に差し挟んでしまう。これはこれで悪いことだとは簡単には言えないし、新しいシステムを次々投入するタイプのゲームの場合は、とっとと解説文を一発挟んだほうがてっとり早かったりもするんだけど、どうしたって構築された世界観に対して不純物として作用してしまうし、やりたくもないチュートリアルをやらされるのは苦痛である場合も少なくない。余計な説明を出来る限り排し、洗練されたゲームへの導入がされているという点において、ドラクエゲームデザインは世界水準で見てもトップレベルにある僕は思う。最近初めてやったMHP3チュートリアルモードの長さと解説文の冗長さは正直呆れたし途中で投げちゃおうかと思ってしまった。まあモンハンは仲間から情報収集しちゃえばいいからチュートリアルは適当でいいやって割り切っちゃうと許せなくもないんだけど。


 堀井雄二の優れたテキスト技術、レベルデザイン技術もまた、余計な説明をゲーム中から省くためにあると考えるとわかり易いと思う。語感、リズム感を駆使し文字面だけでなんとなく理解できるネーミング、有無を言わさずフィールドに出た瞬間にユーザーの目に飛び込んでくる竜王の城、これらの要素は、余計な説明文を必要としていない。


 そしてここまで強制的な説明文をゲーム中から取り除く理由は、やはりユーザーの能動性を促すためであり、ユーザーの想像力の邪魔をしないためだと思う。堀井雄二はユーザーを誘導するが、強制的な力を極力働かせないように注意深くゲームをデザインする。説明がゲームにおいては命令として機能してしまうことを熟知しているのだ。彼はユーザーと絶妙な距離を保つことに細心の注意を払う人だと僕は思う。


 そして、堀井雄二という人は、これだけ様々な技巧を凝らしているのにも関わらず、自分からそのことをあまり語ろうとしない。自分のことまで含めて過剰に説明をしない人なのである。この記事でも紹介したように、最近はCEDECの講演などで自分のしてきた足跡を振り返るようなこともしているが、まだまだ全然語りが足りてないと思う(だから俺みたいなのがこうやって暑苦しく語ることになる)。そんな粋な態度まで含めて堀井雄二という人は格好のいい人だ。僕はこれからもまだまだ堀井雄二に学びたい。

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