僕とニンテンドウ64

 僕にとってニンテンドウ64というハードは、最も思い出深いゲームハードだ。64の頃というのは、ゲームが3Dになったばかりの頃だった、皆がウブな時代だった。しかし、64というハード、及びそこから生まれる傑作群は、3Dが始まったばかりなのに、3Dゲームの完成形、最終形態をいきなり提示していた。最初から最終形態で現れるフリーザみたいなハードだったのである。


 マリオ64ゼルダの伝説時のオカリナスターフォックス64などなど、これらのタイトルは未だにシリーズ最高傑作として推す人も多いし、自分でもそう思う部分はかなりある。シリーズ最新作のマリオギャラクシーとか夢幻の砂時計なんかは相当良かったけど、けっこう方向性を変えてる部分があったりするし、真っ向から超えたとは言いがたい面が多々ある。


 また、ニンテンドウ64というハードはえらいソフト販売数が少ないハードでもあった。発売初期に64専門雑誌が同時発売のマリオ64パイロットウィングス、羽生将棋の3タイトルで延々特集組みつづけていたのは、未だに記憶に強く残っている。


 時のオカリナが4月発売予定から、半年延期して発売が年末になった時は正直、気が遠くなった、ていうか本当に倒れるかと思った。64ユーザーの駆け込み寺的な存在であった「The64DREAM」という雑誌は、発売一ヶ月前にテスト用のサンプルROMが届かないことから、発版延期するのでは?ということを懸念し、巻頭ページからいきなり発売前のゲームの心配をするという特集?ともなんとも言えないような構成にして、我々64ユーザーの度肝を抜いた気持ちを代弁してくれていた。ちょっと一部分を引用してみよう。

 この原稿を書いている時点でいよいよ発売一ヶ月半前となったワケだが、あまりにも静かなのである。たしかに今月もワクワクする画面写真が数多く公開されたが、通常ならサンプルロムを借りられるなり、京都に行ってプレイ取材できるなりといった展開になっていても、全然おかしくない時期なのだ。取り越し苦労であってほしいが、さらなる発売延期の可能性があるのではと編集部では心配している。こうなったら惚れた弱みで、完成をじっと待つしかないのだろうか。やや脱力ぎみに、そんな疑問が浮かんでくるが、答えはひとつ。もちろん待つしかないのだ。
(中略)
3月10日現在、任天堂から発売延期の情報は入ってきていない、繰り返しになるが、これは編集部の勝手な心配である、と同時に開発の最終コーナーを曲がったであろう「ゼルダ」チームのスタッフへ向けたラブレターのつもりだ。真意は「いつまでも待つからね」、ではなく「こっちはこのくらい本気で待ってるからな!」なので、間違えないでください、ホント。


 こんな調子で、たった一本のソフトの発売を巻頭で延々と心配し続けるゲーム雑誌ってあっただろうか?今後ありえるだろうか?64というハードとゼルダの伝説時のオカリナというソフトとThe64DREAMという雑誌のトライアングルによって生まれたケミストリーがここにはある。


 64に対する思い入れが深いのは、このように一本のソフトが出る前の紆余曲折も肌に刻むように体験してきたからである。思い出になっちゃえば、キレイなものなんだけど、当時はたまったもんじゃなかったんだよ本当に。バーチャルコンソールでいきなり時のオカリナが出来てしまう今の若者達には、我々リアルタイム64ユーザーの気持ちはなかなか理解し難いだろうと思う。まあ理解したくもないだろうけど。


 このブログで僕がやろうとしているのは、そんな64時代の思い出を自分なりに書き留めておくということと、そういった懐古的な記憶を引き算した上で、64ソフト群を適正に評価するということである。その結果、現在のゲームより64のゲームの方が面白いという結論が出たとしたら、その時は容赦なくウザイ大人ゲーマーになってちびっこゲーマー達を抑圧していこうと思う。