「偶然」に出会うゲーム

 レッド・デッド・リデンプションをプレイしていると、不意に美しい景色に出会って、本来の目的を離れてなんとなく風景を眺めて時間を過ごしてしまうということがある。


 それは、自分がなんとなく求めていた景色と、ゲーム中に流れている時間と、絶えず変化し続ける環境が、偶然一致したということなのだけど、このゲームが優れているのは、そのような偶然性まで含めてゲームを設計できているところだと思う。


 このゲームを語る際によく用いられる自由度という言葉は、プレイヤーが自由に振る舞えるということ以上に、プレイヤーに偶然と遭遇する機会(そしてその偶然を偶然として無視しても良いという許可)をどれくらい意図的に設計してあるのか否かという意味があるのだと思う。