読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

Call of Duty4とは何だったのか

ゲーム


メタスコアを見ながら海外ゲームシーンの10年間を振り返る 前編 - 色々水平思考


先日アップしたこの記事、色々細かく語っていきたいタイトルはまた後で語りますってことにしたタイトルが出まくっちゃったので、こうして後始末的に個別のエントリを挙げていきたいと思います。今回語りたいのは先のエントリでもここ10年で最重要タイトルの1つとさせて頂いた、「Call of Duty4 modern warfare」(以下CoD4)です。


コール オブ デューティ4 モダン・ウォーフェア

コール オブ デューティ4 モダン・ウォーフェア


2007年に出たソフトなんで、もう色んな所でこのソフトの素晴らしさ、特にキャンペーンモードの素晴らしさは語られて来ましたが、簡単に言ってしまうと、主観視点によって行われるゲーム内容とプレイヤーの技術的習熟曲線、そして物語のピークの迎え方がそれは見事に同期し、結びついて、ゲームでしたできないストーリーテリングの在り方をこれ以上ないやり方で提示したってことに尽きると思います。


これだけではなんのこっちゃらな人もいるかもしれないんで、もう少し詳細に語ると、最初は未熟な新兵として戦場に立ち、幾多の戦闘経験を経て次第に兵士として成長し、場合によっては様々な形で「死」を経験し、最後の最後に放つ「一発」にゲームプレイヤーとしての自分の培った「技術」と、幾多の戦場を乗り越えた物語上の主人公の「思い」を同時に乗せきってしまったことがこのゲームの成し遂げた最大の達成なのではないかってことなんですが、まあこの辺は実際にゲームやってもらうのが一番ですね。


この達成が如何に優れていたのかと言えば、ゲーム業界以外の分野にもその影響が波及したことによっても推し量れるのではないかと思います。映画「ネイビーシールズ」なんかはCoD4の映画化と言って差し支えないほどにそのまんまなシーンが出たりします。



この映画に限らず、ここ数年、ゲームを思わせるような主観視点映像が様々な映画で見られました。「キックアス」とか「トランスフォーマー」シリーズとかね。この次点でゲームは映画と肩を並べることを通り越して、映画に影響を与える存在にまでなったのです。



まあでもこの辺はゲームがすごいレベルに達したと同時に、海外の映画作家が如何に貪欲に新しい映像表現を求めているかってことの証左でもあって、新しい刺激が得られれば迅速に他分野の影響を取り組んで行く映像業界の強かさのほうが個人的には印象的だったりするんですけどね。


話を戻すと、そんな訳でCoD4FPSというジャンルに留まらず、ゲームという表現メディアが到達し得る物語表現の1つの頂点に達した作品なのですが、頂点に達したってことは、その先が中々見えないってことでもあります。


残念なことにCoD4以降、FPSTPSゲームのキャンペーンモードのストーリーテリングの在り方において、このタイトルを真っ向から超えたタイトルが現れたかと言えば、現れてないと思います。っていうか最後にCoD4的な決定的な一発をストーリーの最後の最後に持ってくるタイトルが増えたこと増えたこと、「Tomb Raider」とか 「Portal2」とか、まあパクりってほどに悪質では無いし、それぞれにグッときちゃう展開になってるんだから、やっぱりCoD4の提示した手法が如何に強靭な手法であるかってことの証左ではあるのだけれどね。まあまたそれかいって思っちゃうっていうか。


いや、更に問題なのは本家のCall of Dutyシリーズのmodern warfare3においては、最後の最後で、銃を撃つことすら止めてまさかのQTEで締めるという蛮行に走ってしまい、結果的には劣化の道を進んでしまっているということなんですよ。マジでマジで。


なんでQTEが駄目なのかと言えば、プレイヤーがゲーム中で培った技術を唐突に放棄して、単調なタイミング合わせゲームとなってしまうからで、まだ「God of war」シリーズみたいに、特定のタイミングで確実にQTEが来ますよっていうゲーム様式を確立しているならまだいい、でも最後の最後に何の予告も布石も無しに出てくるQTEは作り手の都合以外の何も感じませんよ。つーかその問題をほぼ完全に解決させたからCoD4はすごいのに、なぜに退行してしまったのか…。まあ開発会社が変わったのが一番大きいんでしょうけどね。


Call of Duty: Modern Warfare 3(輸入版)

Call of Duty: Modern Warfare 3(輸入版)


愚痴はこの辺にしておいて、CoD4のもう1つの側面について語っておきましょう。それはこのゲームにおける「死」の描写の仕方です。


このゲームが初めてってことではないですが、昨今のAAAタイトルはゲームシーケンスを進めるにあたって、かなり細かくチェックポイントを設置し、もしプレイヤーがゲームに失敗し、死を迎えたとしても、直ぐに直後の地点からリスタートが出来るようになっています。


このこまめ、且つ大量のチェックポイントの配置によって、ゲームにおけるある程度の唐突かつ理不尽な「死」は許される傾向にあると私は考えています。なぜなら、死んでもすぐやり直せるからです。リスタートにかかるコストはどんどん少なくなる傾向にあります。


その結果としてなのでしょうか、確信は持てませんが、海外のAAAタイトル達は死ぬことの演出に力を入れるようになっています。死んでも直ぐやり直せるってことは何度も何度も死んでもらっても対して構わないってことでもあります。この辺の死の演出方法についてはまた別の機会に詳細に語っていきたいのですが、今回の主題、CoD4はその辺りの凝ったの死の演出の走りのようなタイトルなのではないかと思います。ゲーム中に死んだ後に表示される、歴史上の人物達の様々な格言、ゲームをクリアした先にある、本来ならばご褒美的な要素である筈だったイベントムービーで提供される核爆弾によるプレイヤーの「死」。


ゲームは繰り返しに適したメディアです。繰り返し失敗することを経験させてくれるメディアです。ゲームで失敗すること、それはしばしば「死ぬ」という形で表現されます。相手に「死」を与えることでゲームにストーリーが生まれ、相手から「死」を与えられることによって、ゲームの進行に楔が、句読点が打たれ、ゲームにリズムが生まれる。「Call of Duty4 modern warfare」とはそのようなゲームだったのではないかと思います。