ロボと内海と後藤と俺ら

ゆうきまさみと押井守の違い「正義の味方と風邪薬」

 これを読んで思ったことを書く。

 上の記事で触れられている、漫画版パトレイバー後藤隊長の台詞はまあ正論も正論、ド正論なんだけど、なんで彼がこんな正論を言うのかと言えば、パトレイバーがロボットを巡る愛情と突っ込みの漫画だからだと思うんだよ。


 ガンダムあたりから始まったんだろうけど、ロボットって存在を真面目に考えれば考えるほど存在としてはあり得ない、でもカッコいい、でもあり得ない、でもやっぱりカッコいいっていうスパイラルの中で日本のロボットモノって発展してきた部分があって、パトレイバーもその流れの中に位置している。っていうかその極北と言ってもいいでしょう。


 んで、漫画版のパトレイバーにはそのあり得ない存在である二足歩行する人型ロボットをカッコいいの一点で全肯定してしまう内海課長って悪役がいるわけです。


 俺は漫画、OVA、映画版、いろいろ合わせてもパトレイバー最大、最高の悪役は内海課長だと思っています。なんでかっていうと内海課長ってロボット好きな俺らをそのまんま漫画の登場人物にしちゃうっていうすごくメタな存在だからです。そうやって漫画版パトレイバーは、内海課長を中心に据えることで、ロボットモノへの突っ込みと同時に内海課長という極めて幼児的な存在(俺ら)への突っ込みを同時に展開していく物語になっています。


 で、その内海課長へ最大のカウンターを放つのが後藤隊長であり、その最たる台詞が、上の記事でも触れられている「風邪薬としての警察」ってヤツなわけです。漫画版パトレイバーで最も成熟した大人の在り方を提示するのは間違い無く彼でしょう。


 でもなあ、確かに漫画版の後藤隊長の職業人としての矜持って正論だし立派でもあるんだけど、自分の欲望全開で生きる内海課長が魅力的にも見えるんですよ、パトレイバーって。だって俺もロボット好きだし。どんだけあり得なかろうがグリフォンカッコいいし。後藤隊長の言ってることって確かに正しいかもしんないけど、じゃあ後藤隊長は何が楽しくて仕事してんの?って気になるんですよ。上司として理想的に描き過ぎてて、偶像化しちゃってるというか。内海のやってることのグロテスクさって結構キッチリ描いてる筈なのになんか印象としてアッサリしてるのがまた不思議っちゃ不思議。まあオウム事件の前にアレ描いてたってだけども充分すごいけどね。


 その点、映画版の後藤隊長は違う。二足歩行ロボットはあり得ないのは重々承知の上で、でも好きなの!っていうアンビバレンツぶりが漫画版パトレイバーなんだけど、映画版、特に二作目はその辺の葛藤がものの見事に無い。やっぱその辺は押井守。ロボットをあくまで自分の目的を達成する手段くらいにしか見てない。そう、映画版の後藤隊長には自分がしたい事をする為にはあらゆる手段を駆使するっていう明確で強い意志があるんだよ。そのやりたい事が正義なのかっていうとそれはそれで疑問で、あくまで自分の力を最大限発揮するには正義っていう容れ物が一番都合が良いって思ってんじゃないのとかっても思うんだけどね。正義ですら手段に過ぎないっていうか、まあこの辺は自分なりの解釈。


 そんなこんなで自分は人としての生臭さを備えた映画版の後藤隊長が一番好きです。