スポーツ漫画とバトル漫画の違い

以下の記事にはハンターハンターのネタバレがあるからコミックス派は注意されたし。

『ONE PIECE』再論、あと書評掲載のお知らせ - 紙屋研究所


 うーん、ワンピースについて書くのはしばらく後にしようと思ってたんだけど、どうしてもこの記事に対しては言いたいことがあるので書く。


 前回の記事のコメ欄で大活躍だったワンピース好きは馬鹿さん始め当ブログの読者様はもうしばらくおつきあいください。そろそろ任天堂失敗列伝の続き書くからさ!ゲームブログ王に俺はなる!漫画ブログ王にはならない!!

スポーツ漫画とバトル漫画は別物でしょ

 紙屋氏は上記の記事でバトルとスポーツを本質的に同じものとして捉えている。しかし、僕はそうは考えない。スポーツにはルールが確実に存在するが、バトルにはルールなど存在しないからだ。


 当たり前過ぎてなに言ってんだって感じもするが、スポーツもしくはゲームには明確にルールがある。サッカー漫画でキーパーでも無いのに手を使う必殺技とか編み出されても困るわけですよ。ルール違反だし。


 でもドラゴンボール天下一武道会を開いたときのようにバトル漫画がルールを取り入れてスポーツ漫画化する時はある。スポーツ漫画がルールを無くしたらスポーツ自体が消滅するんでスポーツ漫画がバトル漫画化する時はあまり無い。


 スポーツ漫画における努力が科学的に突き詰められたものになるのは、やはりルールが明確にあるからだ。勝利条件が明確だからこそ進むべき方向性を定め易い。


 一方バトル漫画はなんでもアリだから、勝つためには多人数でボコろうが、不意打ちしようがなんでもアリなんだよ。ドラゴンボールフリーザは「ズルい!」とか言わないでしょ。まあそういうこと。

 バトル漫画にルールは無いから努力の人であるハンターハンターのネテロ会長は自分の努力の成果以上に強力だと判断すれば兵器で世界に数十万発も存在するありふれた兵器を切り札として使用する。問題なのは努力の量ではなく、敵を殲滅するという成果なのである。


 ワンピースにはバトル漫画的な側面はあると思うし、スポーツ漫画的な側面もまたあると思う。フォクシー海賊団とのバトルなんかは明確にルールが存在するスポーツ的な、ゲーム的な展開だったと思う。でも基本的にはワンピースのバトルに守るべきルールなどは存在しない。だからクロコダイルはプルトンという名の古代兵器を求める。地道な修行的努力によって自分の実力を上げるよりも、圧倒的に強い古代兵器をゲットする方が目的を達成し易くなるからだ。まあクロコダイルがアラバスタを自分のものにするためにバロックワークスっていう会社を経営してあの手この手の「経営努力」を支払ったことは「もしクロコダイルがドラッカーのマネジメントを読んだら」的な観点で語る価値はあると思うよ。形は違えどこれもまた「努力」なのだ。

 
 軍隊なんて木っ端みたいなモンってことにしてしまったドラゴンボールではバトルで勝つためには修行で地道に戦闘力を上げるとか思いっきり怒って超サイヤ人になるしか方法が無かった。でもドラゴンボールほどに突き抜けた戦闘能力があるわけではない、ワンピースやハンターハンターのようなバトル漫画においては、地道な訓練よりも手っ取り早く勝利を得る手段があったりする。戦闘力の無限のインフレという呪縛から逃れることに成功した昨今のバトル漫画は努力の相対化、多様化という別の問題に直面しているのではないだろうか。だってルールとか無いんだもの。


 あとワンピースはヤンキー漫画に近いって指摘は確かにそういう側面はあると思うけど、それだけでもないとも思うんだよ。ワンピースってヤンキー漫画というにはあまりにも権力の匂いがプンプンし過ぎだと思うんだよね。ヤンキー漫画ってそりゃ体制には逆らうだろうけど、本気で喧嘩挑んだり、マジで体制の転覆を狙うヤンキー漫画ってそれヤンキー漫画ってよりはテロリスト漫画じゃね?って思っちゃうんだよね。まあこの辺についてはまた別の機会に。


 あとね、最後にこれだけは言っておきたいんだけど、紙屋氏はワンピースにはクロコダイルが水に弱いっていう欠点を知る手続きが無いとか言ってるけど、いやそれ漫画中に思いっきり描写されてますから。伏線としては教科書的と言っていいくらいにちゃんとしてますから。これ以上クドく描写したら押し付けがましくなっちゃうし、これに気付けないのはハッキリと読解力不足と言っていいレベルだと思いますよ。